2019年1月アーカイブ

淑徳大学人文学部歴史学科には、教員免許状の取得を目指す学生が多数在籍しています。

1月30日水曜日、平成30年度の教育実習を終えた4年次生による「教育実習報告会」が開催されました。

当日は、4年次生が教育実習で学んだことをポスターセッション形式で報告。

1年次生から3年次生までの学生を対象として、熱心に報告する姿が見られました。

 

まずは開会の挨拶から。

次に各自8分間の持ち時間で、教職課程を履修中の下級生にプレゼンテーション。

歴史学を学びながら、歴史学で学んだプレゼンテーション能力が充分に発揮された報告が続きます。

迫力あるプレゼンに、下級生も熱心にメモをとっていました。

4年次生の報告が終了したのち、板橋区教育委員会から来学された菅徹先生から、講評と講演をしていただきました。

菅先生からは、教育現場の現状について、詳細なお話しをしていただきました。

参加した下級生も、教育実習に臨むために何を学んでおくべきなのか、しっかりと理解した様子。

最後に教育実習をやり終えた4年次生で集合写真。

4年間の集大成となった今回の報告会で、またひとつ、成長を遂げたようです。

1月22日(火曜)に、2018年度の卒業研究発表会がありました。


各ゼミの代表者が、卒業論文について発表しました。

発表題目は、以下の通りです。

梅﨑 渉  「川中島の合戦―在地の視点から―」(遠藤ゼミ)

及川 叶惠 「カッパイメージ変遷の歴史的背景」(森田ゼミ)

奥泉 萌子 「陽成院説話の変容」(鈴木ゼミ)

鶴岡 晃典 「中世房総における陶磁器の流通」(三宅ゼミ)

寺﨑 渉悟 「片桐且元の二重の従属性について―方広寺鐘銘事件の分析を中心に―」(田中ゼミ)

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この発表会で、1番目に発表した中世ゼミ代表の梅﨑渉です。

私は、高校時代に、卒業論文のタイトルでもある「川中島の戦い」について研究をしたいと考え、大学に進学しました。

大学4年間、多くの史料や書籍、研究論文に目を通し、内容を温め、ようやく卒業論文を書くことができました。

発表会の講評は、歴史学科学科長である三宅俊彦先生が行なってくださいました。
その中で「卒業論文は、自分が決めた研究テーマに対するラブレター」とおっしゃっていました。

これを聞いて、僕もその通りだと感じました。
好きなことについて「詳しくなりたい」「もっと好きになりたい」。
こういった気持ちが、卒業論文を書く上では、とても必要なことでした。

E・H・カーは『歴史とは何か』のなかで「歴史とは、現在と過去の尽きることの知らない対話である」と述べています。
過去と対話を行ない、その思い(明らかにしたこと)を、ラブレター(卒業論文)に書く。

この「歴史」に対する告白を行なえたことは、素晴らしいことであったと思います。

最後に、このような発表会を開催してくださった歴史学科の先生方、足を運んでくれた多くの学生のみなさん、ありがとうございました。

表現学科1━Aクラス  川口凛です。 

一年次必修の創作表現技法(演技)という授業で、私たちは演劇をしています。 

後期は、124日(木)の合同発表会に向け、準備を進めてきました。 

私たちAクラスは、『一途』、『マーガレットの花をともに』、という2つの演劇を上演する予定です。 

『一途』は、殺陣が入る本格的な時代劇です。 

『マーガレットの花をともに』は、中世ヨーロッパを舞台にした物語です。 

これまで、毎週どちらのチームも限られた時間の中で練習を重ねてきました。 

本番まで残りわずかです。

 

1回ごとの練習を大切に、本番に向けて全力で取り組んで行きます。みなさん、ぜひ観に来て下さい!


■1年生演劇発表会

【日時】1月24日(木)  14時開演

【会場】淑徳大学東京キャンパス7号館3階

 

皆さんこんにちは。私は淑徳大学歴史学科3年の横川雅子と櫻井樹里です。

今回は冬休みに行ってきたベトナムでの調査についてレポートしたいと思います。

 

12月23日~12月30日の1週間、三宅先生のベトナムでの古銭の調査に同行させていただきました。

 23日の午後2時頃にホーチミンの空港に到着して福岡便の櫻木晋一先生(下関市立大学)と合流し、市内のホテルへ向かいました。夕ご飯は「アシマ」というキノコ専門店でした。普段見たこともないようなキノコがたくさん出てきました。

ホーチミンのホテル

キノコの鍋です

 

 24日は朝から出かけました。まずはホーチミン市博物館。古代から近代のもの、様々なものが展示されていました。外の敷地内ではベトナム戦争時に使われた戦闘機や戦車が置かれていました。部類の戦車好き、櫻井が最もテンションが上がっていた瞬間でした。その後近くにある市場を見てから24時間フォーを昼食にして旧大統領府(現・統一会堂)の見学をしました。その後自由時間になり、櫻井・横川でさきほどの市場へ向かいました。そこでは海外の洗礼を浴びながらもお土産を買ったりしました。むだに色違いの帽子を買ったり、国旗や党旗を象ったTシャツをそれぞれ買ったりなどしました。夕飯は旧アヘン工場を改築したベトナム料理のレストラン〈ホアトゥック〉でいただきました。そこで人生初の生春巻きを食べました。なんだか不思議な味でした。帰り道、24日クリスマスと言うこともあり、ホテル近くのお店により皆でケーキを食べました。

ホーチミン市博物館

テンションMAX

 

統一会堂

生春巻き

 

25日はホーチミンから調査地のハティンへ移動しました。ホテルがとても豪華で、隣接しているショッピングモールで夕飯と買い出しをしました。その後は恒例の三宅Barでいろんなお話をしました。そこから4日間はそこで貴重な先生方の昔話や相談所になって、三宅Barというよりは三宅研究室出張所みたいになっていました。夜には菊池誠一先生(昭和女子大学)・菊池百里子先生(人間文化研究機構)ご家族も到着されました。

ハティンのホテル

 

そして26日~28日の3日間、ハティン省博物館で、一括出土銭の調査をしました。とにかく古銭を磨く→拓本を取る→記録する→整理する、を現地の人たちと延々と繰り返した3日間でした。古銭は種類ごとに箱に分けて入れられていましたが、違う種類のものも入っていたりしてそれを抜いたり、後から正体不明の古銭の山が出てきて、それを皆で磨いて分けて拓本取って、と根気のいる作業でした。途中で櫻木先生からパイン飴を頂いたり、磨きながらよく分からない話をしたりなど必死でした。

ハティン省博物館での古銭の調査

古銭を磨いて文字を読み取ります

 

拓本を採ります

 

 大きさの計測と拓本の整理(マンガ本に拓本を挟んで乾かしてます)

種類ごとに分類して箱に収納します

お昼ご飯は地元の食堂でベトナム料理です

 

 29日は飛行機の搭乗時間が遅く、午後16時にホテルを出発しました。チェックアウトが12時だったので昼食はホテルで取り、その後はホテルのロビーで待機していました。あまりにも暇だったので今回の古銭のデータの資料を整理したり、三宅先生がホテル内のお店でケーキをおごってくれたりと必死に時間をつぶしていました。ハティンからハノイに着いたのは22時近く。ハノイで福岡に帰る櫻木先生とお別れをし、午前1時近くに我々もハノイを発ちました。そして日本時間、30日午前7時頃に成田空港に到着し、それぞれの帰路へとついて今回の調査は終了しました。

お昼はホテルのレストランでフォーをいただきました

ホテルのロビーでデータ整理中 

 

今回も多くの貴重な体験をさせていただいた三宅先生を始め、ホーチミンからハノイまでずっと一緒に専門的なことから調査の裏話まで様々なことを教えていただいた櫻木先生、調査では現地の人たちとの通訳もしていただいたり、ベトナムのことについていろいろなお話を聞かせていただいた菊池先生ご家族、そして現地の方々には感謝しかありません。特に菊池先生には、「アイスが買えない!」とか言う訳の分からないご心配をおかけしました。

今回の調査も現地でしか味わえない、いろいろな体験をさせていただきました。前のモンゴル調査のブログでも載せましたが、3月24日(日)のオープンキャンパスには、歴史学科の展示・体験イベントコーナーに横川・櫻井もおります。もし、もっと詳しい話を聞きたいという方は、ぜひご来場ください。お待ちしています。

東洋思想史(担当:村松弘一)では、儒・仏・道三教のほか、イスラームについても講義しています。そこで、12月14日に第二回目の東洋思想史フィールドワークとして、東京の代々木上原にある日本最大のモスク・東京ジャーミーを訪れました。東京ジャーミーは1917年のロシア革命で日本に移住したトルコ人が中心になって1938年に創建された施設です。現在の建物は2000年に完成したもので、ドームやミナレットなどイスラーム様式の建物で、内部の装飾品などはトルコの職人によるものだそうです。

東京ジャーミー・トルコ文化センター広報出版担当の下山茂さん(ムスリム)からイスラーム世界が起源のモノの話やモスク・礼拝に関する解説をいただきながら館内を見学しました。イスラームの信者としてのこれまでの下山さんご自身の経験やメッカ巡礼のお話などもお聞きしました。また、ちょうど作家の椎名誠さんも雑誌の編集者の方とエッセーの取材のために現地にいらしていて、一緒に礼拝の様子や礼拝堂の内部を見学しました。椎名さんは『青春と読書』(集英社)という雑誌に「椎名誠のエンディングノートをめぐる旅」というエッセーを連載中で、近々、イスラームの葬儀や墓のことを取り上げるそうです。

今回のフィールドワークは日本にいながら儒・仏・道とも西洋とも異なる文化空間を感じることのできる経験となりました。

東京ジャーミー入り口にて(寒い日でした) 

説明をしっかり聞いています

説明してくださった下山茂さん

礼拝の風景 信者は横一列に並ぶ

調度品はトルコから直輸入したものだそうです。

以下、参加した学生のみなさんの感想をいくつかご紹介します。
「建物の高さが想像以上でドアの奥に進むと独特のにおいがした。そしてモスクの礼拝堂は壮大で声が奥まで届くようになっており、日本ではない国にいるような気分になった。」(歴史学科3年金子久遠さん)
「下山さんの説明を聞いて日本人のなかではイスラム教に対する誤った認識や考えが浸透してしまっていると思った。フィールドワークを機にいろいろな人に正しい知識を伝えられたらと思う」(歴史学科3年 小池優士さん)
「ちょうど礼拝の時間になり、礼拝の様子を見たことは貴重な体験だった。みな横並びに礼拝していたことは印象深い。信者はみな平等という考えからだそうだ」(歴史学科3年 方波見海さん)
「二回のフィールドワークを通じて、現代生活の身近なところに儒学やイスラームの東洋思想が混じっていることを身をもって知ることができた」(歴史学科3年 坂本和希さん)

文責:村松弘一

東洋思想史(担当:村松弘一)では、儒教・仏教・道教など東洋の様々な思想の歴史的展開について講義をしています。11月10日に実施した今回のフィールドワークでは儒教をはじめとした中国思想・東洋思想が日本へと伝わった場を踏査し、その歴史を考えることを目的としたものでした。全体の行程は、御茶ノ水駅集合→湯島聖堂→小石川後楽園→伝通院→小石川植物園→茗荷谷駅解散でした。

江戸儒学(儒教)の祭祀・教育の場であった湯島聖堂では大成殿と学びの場である斯文会、孔子像を見学しました。事前研修では湯島聖堂の孔子祭りのほか、担当教員が訪れた多久聖堂(佐賀)・足利学校(栃木)の孔子祭祀も話しました。

「事前学習で孔子祭りの映像をみて、聖堂のイメージをもってやってきたが、実際に訪れると大成殿の境内・殿内の広さに驚いた」(歴史学科3年 坂本和希さん)

湯島聖堂の大成殿

大成殿内の孔子像

台湾から寄贈された孔子像

その後訪れた小石川後楽園は中国・明の遺臣であり、儒者であった朱舜水が設計にかかわった旧水戸藩の庭園です。中国の名所をかたどった小廬山や西湖堤を見学しました。
「小石川後楽園の盧山や西湖、渡月橋は見ていて面白かった。得仁堂と円月橋が印象に残った」(歴史学科3年、小池優士さん)

琵琶湖のなかに蓬莱島がある

園内には川もあります

西湖堤 杭州の西湖の蘇堤をかたどる

小盧山 中国江西省の盧山をかたどるという

次に、仏教の現場として、江戸の浄土宗の拠点であり、淑徳学園発祥の地である伝通院に赴き、学祖・長谷川良信先生の墓参りをしました。

伝通院の参道

最後に小石川養生所として江戸の漢方薬学の拠点であった小石川植物園に行き薬草園を見学しました。

小石川養生所の井戸

薬草保存園

約3時間、「東洋思想」の現場を求めて東京を歩きました。そういったフィールドワークはなかなか良い経験だったと思います。
「フィールドワークでたくさん歩き、疲れたが、東京でここまで歩き、多くのことを学び、歴史遺産が密集しているなあと思った」(歴史学科3年 方波見海)
「今回のフィールドワークでは、それぞれの施設が歴史を持っており、東洋思想を基盤とした製作者の考えが反映されている素晴らしい場所ばかりであった」(歴史学科3年 金子久遠さん)

皆さん、こんにちは!歴史学科1年生の橋口です。私たちは12月24日に板橋区立郷土資料館を訪問しました。実を言うと、私はここへの訪問は小学校と中学校以来の3回目となります。

 

さて、資料館を訪問した私たちは、出迎えてくださった職員の方にご案内いただき、2階の講義室において、2人の学芸員の先生方に資料館の概要についてご説明いただきました。

 

この資料館では13人の職員の方々がおられ、休館日である月曜や年末年始といった一部の日を除いて8時45分から17時30分まで勤務されているとのこと。また、お仕事の内容としては、展示以外にも教育普及の一環で講座や見学、地域行事への参加など多岐にわたるそうです。

 

ご説明いただいた後、私達は2班に分かれて館内を見学させていただきました。私の班が最初に向かったのは収蔵庫でした。そこは温度が10度に保たれていました。

 

その後、展示室において、学芸員の先生にご説明いただきました。学芸員の先生によれば、天井の凹凸は資料の搬入の際に危険だから取り払うなど、今年は展示室そのものをリニューアルするということです。この資料館の目玉でもある古民家では石臼やカマドを使った教室が開かれているそうです。

 

見学後、再び講義室に戻って、私達はいくつかの質問をさせていただきました。その中から一つを例にとると、ある学生が「収蔵庫に入りきらない資料はどこに保管しているのですか」と質問しました。それに対して学芸員の先生は「廃校になった学校を区から借りて、そこに保管しています」というお答えをいただきました

 

以上が板橋区立郷土資料館訪問の訪問記です。今回は、普段見ることの出来ないバックヤードや実態についての貴重なお話を伺うことができてとてもためになりました。

 

個人的な感想としては、小・中学校の見学の際には見聞きしなかったことを知ることができ、何だか新鮮な気持ちでお話を聞くことができました。

 

最後に、今回の訪問で解説してくださった学芸員の先生方、そして職員の皆様に厚くお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 

 

演劇発表会のお知らせ

みなさん!こんにちは

淑徳大学表現学科1年 三瓶瑞菜です。

 


表現学科では、1月24日にA、B、Cの各クラスで演劇の発表をします。

私たちBクラスは「蒼天の森」と「イエローノーツ」という劇を発表します。

脚本は、自分たちで制作し、クラス皆で試行錯誤しながら練習してきました。

 


蒼天の森は、人間の世界と妖精の世界のお話で、親子の愛情やそれぞれの幸せの形を描いているファンタジーです。

イエローノーツは、バンドのボーカルである兄と比較されるとこにトラウマをもち自分に自信がない主人公が、高校の軽音部と共に乗り越える青春ストーリーです。

 


最初はまとまりが無く、先が見えない状況でした。しかし、皆それぞれが自分の役割に責任をもって果たしたり、意見を出し合ったりしていくうちに形になってきました。

本番まで、あと少し。さらに観ていただく方に満足してもらえるよう、頑張りたいと思います。

 


発表日は1月24日木曜日。場所は7号館3階です。

ぜひ、観に来て下さい!

「東洋史Ⅰ[中国]」(担当:村松弘一)では中国の歴史を講義しています。127日、この授業のフィールドワークとして泉屋博古館東京分館で開催していた特別展「神々のやどる器―中国青銅器の文様―」を訪問しました。本展は古代中国の殷周時代の青銅器をそのデザインに注目して展示するものでした。事前の授業で青銅器の器の名称の説明、文様についての解説をおこないました。展覧会では、各自解説を読みながら、興味を持った青銅器のスケッチをしました。自分の手でスケッチをすることによって複雑な文様の細かい部分について理解できたと思います。今回の見学をきっかけに文物文様について興味をもった学生も多くいました。以下、参加した学生のみなさんの感想と展示品のスケッチをいくつかご紹介します。


 


<スケッチ>


  


左「鴟鴞尊」(2年・田邉悠成さん)    「虎卣」(4年・鶴田実咲さん) 

 

左「鳥形蓋盉」(2年・牛山恵莉さん)             「円渦文敦」(2年・嶋田桃子さん)     

 

左「父己尊」(3年・棚井正浩さん) 右「鴟鴞尊」(2年・伊地知大河さん)

  

左「鳥文尊」(2年・野澤結奈さん)   「饕餮文觚」(2年・猪野晃希さん)

 

左「鴟鴞卣」(3年・石塚克裕さん)  「鳥蓋瓠壷」(2年・若木絢子さん)

 

左「饕餮文觚」(3年・長谷川友香さん)  右「饕餮文爵」(2年・高橋孝介さん)

 

<感想>

・「尊」には人に育てられていない動物も描かれ、当時の人々にとって自然に生きる動物も重要であったのだろう。(2年・田邉悠成さん)

・私がスケッチした「蟠螭文鉦」は、形はシンプルながらも非常に細かい装飾や文様が施され、完璧にはスケッチすることができなかった。(2年・河野零さん)

・中国青銅器の文様はどれも複雑な構造となっており、私が選んだ「鴟鴞尊」は饕餮文という文様で、左右対称に描くのに苦戦した。(2年・伊地知大河さん)

・青銅器を観察してみると、なぜこれを青銅器で作ったのだろう、なぜ、この動物をかたどったのだろうと思い、見ているだけで時間を忘れるほどであった。(2年・黒川結衣さん)

・展覧会の一般の参観者から「どのようにして、青銅器のこの文様を描いたのか」と質問されたが、そのことはただ文様が複雑ですばらしいとしか思っていなかった私にとって、考えさせられる疑問点となってうかんできた。(2年・野澤結奈さん)

・スケッチを始めると自然と普段よりよく観ようとするため、最初は手のように見えていた犠首の部分も鳥の形をしていることに気づき、文様もよりはっきりと見えるようになった。(3年・横井真莉亜さん)

・スケッチして思ったことは簡単な文様であるはずなのに、書くのに思ったより時間がかかったこと、自分が思っていたよりもうまくかけなかったことだ。(3年・長谷川友香さん)

・「虎卣」の面白い点は、見る角度によって、様々な獣が形作られていることだ。模様やもち手の一部だと思っていたものが、実は獣であったりすることは、見る側からすると大いに楽しむことができた。(4年生・木村庸)

・「斜格乳文簋」をはじめて見て目にとまったのは真ん中のとがった文様と虁龍文である。ほかの青銅器にはみられなかったとがった文様に私は惹かれスケッチしたいと思った(2年・柴山敢太さん)

歴史調査実習ⅡB

みなさん! こんにちは! 人文学部歴史学科二年の前田健祥です。

私たちは、平成30年11月16日に、「歴史研究法B」のフィールドワークで品川区にある、品川歴史館に行ってきました。

品川歴史館は、所在地 東京都品川区大井6-11-1 閉館時間・午前九時から午後五時まで、休館日は月曜日、観覧料は一般300円 小中学生100円となっています。

品川歴史館では、主に品川の通史展示をおこなっており、古代から近代までの幅広い範囲を取り扱っています。実物資料などに関しては長い期間展示するのでレプリカを代わりに展示しています。一階が通常展示、特別展示を含めた展示スペース、中庭は庭園となっており、中央には芝生、周りには、桜、紅葉、梅など草木が植えてあり四季の移り変わりを楽しむことが出来ます。また、中庭には、水琴窟という甕があり、地中に埋めてあるこの甕に落ちた水滴の反響する音を楽しむといった、目だけではなく耳でも楽しむことが出来る展示品が展示してありました。今回、この品川歴史館では、あらかじめ設定しておいたテーマについて、グループごとに書物や展示品を用いて調べ学習をしました。全員で六グループになりさらにその中から、書物三グループ、展示品三グループと言ったように別々に分かれて自分のグループのテーマについて調べていきました。

私たちのグループは近世の品川宿と寺社の関係について、寺社の中でも、沢庵和尚が住職であった東海寺(正式名称 万松山東海寺)について、テーマに設定し、調べ学習をおこないました。一階の通常展示室では品川の歴史を中世~近世~幕末と言った時代順においてありとても見学しやすく、中には映像を用いた解説をおこなうスペースが在りより展示品について理解しやすくなっておりました。自分のグループのテーマである品川宿と東海寺についても分かりやすく、当時の品川宿の街並みを再現した模型、展示品のわきにはその展示品を分かりやすく解説した小冊子などが設置してあり、今回、品川宿と東海寺について調べる際にはとても役に立ちました。

私たちが、フィールドワークで品川歴史館に訪れた時に丁度、特別展「明治維新 そのとき品川は」が開催されていたので見学しました。明治維新の影響による混乱の余波を受ける品川宿に人々、また、明治期の鉄道など文明開化などによって大きく様変わりする生活などの時代の変動を目撃した品川の人々について、まとめた特別展となっていました。古文書の読んでほしいところに赤い目印を置き、その上に訳を置き、古文書の内容について理解がしやすくなる工夫がしてありました。

今回、訪れた品川歴史館では学芸員の方々の工夫の数々に触れることが出来て、学芸員という仕事に関しての勉強なりました。この経験を今後、学芸員過程の勉強に役立てていきたいと思います。

 

 

 

 

皆さん、こんにちは。 人文学部歴史学科2年の立石です。私たちは、11月30日金曜日に品川の史跡を巡るフィールドワークを行いました。15時にJR田町駅で集合し、「江戸開城西郷南洲勝海舟会見之地」碑・高輪大木戸跡・土蔵相模跡・鯨塚・御殿山下砲台跡・東海道品川宿本陣跡・品川神社・東海寺を巡りました。

 最初の「江戸開城西郷南洲勝海舟会見之地」碑は、集合した田町駅のすぐ近くにあります。私が思っていたよりも近くにあったため、もう着いたのかと思うほど駅の近くにありました。森田先生の説明を聞きながら、周りを見渡してみると、周りはビルや自動車のショールームで、ここで歴史的会見が行われたことを教えてくれるのは碑だけでした。

次に高輪大木戸跡に行きました。ここでは石垣が残されており、直に歴史を感じることができました。この史跡は、数少ない江戸時代の交通に関する史跡として重要であるそうです。この後、品川駅と北品川駅の間にある踏切の近くから御殿山の遠望を見てから次の目的地に向かいました。

続いて土蔵相模跡と鯨塚を巡りました。土蔵相模跡は、コンビニのすぐ目の前に説明板がありましたが、お店の前に長い時間居るわけにもいかないため軽い説明をして、鯨塚へ向かいました。鯨塚は利田神社という小さな神社の横にあり、寛政10年(1798年)に品川沖に迷い込んだ鯨の塚です。この鯨は、11代将軍徳川家斉も見たそうです。現在は、石碑と説明板、その目の前に小さな池があり、10匹ほどの鯉が泳いでいました。

その後は、御殿山下砲台跡と品川宿本陣跡に行きました。御殿山下砲台跡は、外国船に対し江戸の町を守るために築かれた台場です。現在面影は残っておらず、説明板と台場にあった灯台を模したものがあります。跡地にある小学校や保育園の名前に台場と付いており、ここは台場であったということを名前が教えてくれていました。品川宿本陣跡は、現在小さめの公園となっており、明治天皇の行幸の際に行在所となったことから聖蹟公園という名前になっています。この公園には、江戸時代の井戸を模したものや公園は竹でできた柵で囲われていて、江戸時代っぽい公園だなと思いました。しかし、公園の一角にある御聖蹟と大きく書かれた石碑があり、公園に入るとまず目につくほど存在感が凄かったです。

品川神社を巡りました。品川神社は、平安時代末期の文治3年(1187)に、源頼朝が安房国の須崎明神(現 千葉県館山市洲崎神社)の神様をお迎えして、海上交通安全と祈願成就を祈られたのが始まりと言われています。この神社は、境内に稲荷や富士塚があるため信仰の中心地であったことが分かった。森田先生の説明によると、品川神社の前にある商店街は門前町であったことを色濃く残していて、参道がここにあったことを教えてくれました。

最後に行ったのは、東海時です。残念ながら、着いた時間が遅かったため東海時には入れなかったのですが、目黒川の対岸から東海時の裏を見ることができました。解散する京浜青物横丁駅に向かう途中、住宅街の中にある当時の海岸線であるとされる石垣を見てから解散しました。

今回のフィールドワークで、都会のイメージであった品川区にも歴史的な史跡やその面影があり、実際に巡ることで直に現地のことを知ることができました。

こんにちは!歴史学科2年の嶋田です。

 

私たちAクラスは品川についてのフィールドワークとして921日と105日にそれぞれ品川区品川歴史館と品川の史跡巡りに行ってきました!

 

品川歴史館では館内の図書室をお借りして品川の資料を調べる班と学芸員の方の説明をいただきながら館内の展示を見て回る班の2つに分かれて交代で作業を行いました。私の班は先に館内の展示を見ました。

常設展示では品川の歴史が壁の一面に年表でまとめられていたり、時代ごとやテーマごとにワークシートが作られていたりと日本史に疎い私にも視覚的にわかりやすくとても楽しんで学ぶことができました。

図書室には品川に関わる資料がたくさんありました。私たちは中世の品川湊について調べていたのですが、他の班の調べているものを見てもやはり港町に関する資料が多かったようです。そんなところからも品川がいかに港町としての歴史を持っているかがわかりますね。

またロビーから展示室までの床に謎の模様があったのですが、それは品川歴史館の下に埋まった遺跡の形を表しているそうです。当時の技術ではそれが精一杯だったため仕方なくこの仕様になったそうで、今だったら床を強化ガラスで作って直接遺跡を観れるようにするとのことですが直接見せず模様で表現されるのは宝の地図みたいでなんだかドキドキしました(笑)

外には綺麗な庭園が広がっていました。天気が良ければお散歩でもしたかったのですが921日は残念ながら雨…館内からちらっと見る程度で終わってしまいました。機会があれば天気のいい日にまた行きたいと思います。

 

105日のフィールドワークではJR田町駅に集合して品川の遺跡や神社を回りました。3時間歩くぞ!ということで気合いっぱいでの集合のはずがJR各線の大幅な遅延とあいにくの雨で集合時点でなぜか疲れが…。どうにも不安を抱えながらのスタートとなりました。しかし雨が多いですね。秋は不安定な季節です。

勝海舟の石碑から始まったフィールドワークですが私が1番印象に残っているのは品川神社です。雨のせいか私たち以外に人はおらず、森田先生を筆頭にクラスみんなで合掌をする姿はとても印象深かったです。鳥居をくぐり結構長い階段を登った先にある神社だったのですが雨だったこともありこれが滑るのなんの…。特に帰りが危なかったです。誰も転ばなくてよかった…。本堂の屋根のデザインがなんとなくハートに見えたので縁結びしてくれるかななどと年頃の女の子らしいことを考えましたが品川神社で祀られているのは天乃比理刀咩命という芸能の女神様だそうです。惜しい!

品川神社自体は海上交通の安全祈願や産業などの守護神を祀るために作られた神社です。まさに港町といった神社だなと思います。

街の各地に品川歴史マップといった遺跡の地図や説明があり、本当に歴史がある街なんだなといった印象を強く受けました。住民の方々もなんとなくかもしれませんが品川宿などの歴史を感じながら生活しているのかもしれませんね。この街で育つ子は自分の故郷の歴史に興味を持ちやすいんだろうなと少し羨ましくも感じました。

港町として栄えた品川の面影は現代にもたくさんありました。御殿山台場跡がそのわかりやすい例だと思います。現在の御殿山台場跡地には小学校と灯台の模型が建てられていますが当時のその場所はそんなに可愛いものではありません。台場とは砲台を設置した要塞のことです。ペリーの来航に焦りを感じた政府が江戸防衛のために作ろうとした台場ですが、その跡地に今こうやって小学校が建っているのはなんだか考えさせられるものがありますね。

大雨のため当初予定していた遺跡全てに行けなかったのが残念でしたがとても有意義な時間となりました。

 

フィールドワークは行っておしまいではありません。まとめまでがフィールドワークです!2回の学習で学んだことをわかりやすくプレゼンテーションできるよう頑張って準備したいと思います。

 

 

…次のフィールドワークは晴れてるといいなあ


こんにちは、人文学部歴史学科2年の田邉尚輝です。12月8日に「八潮子ども夢大学」を行いました。

「八潮子ども夢大学」とは八潮市の小学生が大学の授業を体験するという、八潮市教育委員会が主催している事業の一環です。

リハーサルでは、当日に向けて学芸員課程を履修している学生たちが何回も流れを確認しました。

司会は、開校式は高木くんが小学生に対してインタビューをしたりして小学生と学生たちの緊張をほぐしてくれました。続いて学科長の三宅先生のあいさつのあと児童代表挨拶のときには、小学生が全員立ち上がり元気な挨拶をしてくれました。その後に新撰組の服装をした栗林君による当日のスケジュールを確認後、作業が始まりました。

作業はアート・建物などの7つの項目ごとに班に分かれ、縄文時代から平成までの11時代に写真を古い順に並べる作業をしました。最初は緊張していた小学生と大学生ですか、やっていくにつれて緊張が解けて楽しそうに作業をしていました。

写真を古い順に並べ終わったら大きな空白の年表に貼りに行きました。写真を張り終わったら大学生たちによる説明があり、プリントの空白部分を一生懸命埋めていました。

閉校式では、司会の牛山さんが小学生に感想を聞いた後、児童代表の挨拶があり、続いて太田さんから感想と「歴史を学ぶことを楽しんで欲しい!」と言葉を送り、記念撮影をしました。

八潮子ども夢大学後、小学生たちと学食を食べました。とても楽しそうに話をしながら学食を食べました

今回「八潮子ども夢大学」をやってみて思ったことは、普段は小学生と関わりがないのでどうしたらわかりやすく伝えられるのか・興味を持ってくれるのかなど様々なことを考えながら準備をしました。学芸員課程を履修している学生にとって貴重な経験になりました。

来学していただいた八潮市の皆さん、ありがとうございました。来年も楽しみにしています!

東洋史Ⅱ[朝鮮](担当:村松弘一)の学外講義として、日本民芸館で開催されている「白磁」展を見学しました。
日本民芸館は大正・昭和に生き、民芸運動を率いた柳宗悦が各地で収集した民間工芸品を展示する施設です。今回は柳が朝鮮半島で収集した李朝時代の白磁をテーマとした展示をしていました。柳のいう「用の美」を表すように展示品は李朝の人々が日常生活で使っていた品を見ることができました。当日は日本民芸館学芸員の田代裕一朗さんのギャラリートークに時間をあわせて集合し、展示品にまつわる柳やその周辺の人々の話も拝聴することができました。

日本民芸館入り口にて

田代裕一朗さん(日本民芸館学芸員)の解説


以下、参加した学生のみなさんの感想と展示品のスケッチをいくつかご紹介します。
・白磁といえども真っ白ではなく、青みがかっていたり、少し褐色であったりと様々な白で多くの表情を見せていた(歴史学科3年・墨井励司さん)
・白磁扁壺は小さい形ながらきめの細かさや口の小ささすべてを初めて見たにもかかわらず、一度見たようで庶民的なところにひかれた。(歴史学科4年・白井豪さん)
・李巌の「架鷹図」に興味を持った。インパクトがあり、日本の絵画に似ていると感じた。日本と朝鮮の間の貿易のなかで絵画の交流があったのではないかと思った。(歴史学科2年・秋山京哉さん)
・白磁は私たちにとって身近な縄文土器などとは大きく異なるデザインではあるものの、眺めていると陶酔感に浸れるような独特な美しさを持っており非常に面白かった。(歴史学科2年・久保田空さん)
・なぜ、朝鮮白磁には壺の形をしているものが大半で、その形は時代によって大きく変化しないのかという点は今後も考えていきたい。(歴史学科2年・栗原彩汰さん)
・白磁はとても日常的なものが多く、一つ一つの筆のタッチが繊細できめ細かくできていた、とても美しいと感じた。(教育学部2年・池田洋茂さん)

  

左「白磁壺」(歴史学科3年・墨井励司さん) 右「白磁透彫卍文杯台」(歴史学科2年・高橋孝介さん)

 

 

 左「白磁高脚杯」(歴史学科2年・猪野晃希さん) 右「家形水滴」(歴史学科2年・嶋田桃子さん)

  

 左「梅樹魚介文碗(中国・明清時代)」(歴史学科4年・上田七海さん) 右「架鷹図(朝鮮時代・李巌)」(歴史学科2年・秋山京哉さん) 

(文責:村松弘一)

淑徳祭の翌日、11月26日に東洋史研究Ⅱ[朝鮮](担当:村松弘一)のフィールドワークとして埼玉県日高市の高麗川へ行きました。この授業では中国大陸・朝鮮半島・日本列島の人びとや技術・文化の移動や広がりについて学んでいます。今回のフィールドワークは、古代の朝鮮半島から日本へと来た人びとに焦点をあて、716年に高句麗からの渡来人が集められた武蔵国高麗郡(現在の埼玉県日高市)を踏査し、朝鮮の文化・技術の伝来過程を考えることを目的に実施しました。高麗王若光を祀る高麗神社では神社の保々さんのご説明をいただき、神社の由来や李王家に至るまでの神社ゆかりの人びとのお話、13世紀から続く系図(レプリカ)を見ながらの解説を拝聴しました。また、高麗家住宅でもご説明をいただき、高麗家が江戸時代に至っても地域社会の中心となっていたことがよくわかりました。その後、聖天院・高麗王廟を訪れました。ここは奈良時代に創建された仏教寺院で不動明王と高麗王若光が祀られています。背後の山には朝鮮を建国した檀君や漢字を伝えた王仁などの石像がならんでいました。そこから高麗川沿いに歩いて30分ほどで、高麗川の屈曲部分に造られた巾着田に至りました。巾着田は9月には曼珠沙華の花に覆われるそうです。巾着のようなかたちの屈曲点の西北に堰を造り高麗川を東南に分流させ、巾着の中心部に水を配し、灌漑をする水利システムは朝鮮半島由来とも考えられています。建設時期の検討も含め、渡来人のもたらした技術かどうかは今後も調査が必要でしょう。約6時間にわたる踏査で、日本古代の朝鮮半島からの渡来人が果たした役割について考える良い機会となったと思います。
以下、参加した学生のみなさんの感想をいくつかご紹介します。

・高麗神社は想像していたよりも立派な神社で、境内には神社独特の荘厳な雰囲気が漂っていた。事前の報告会で今でも本当に高麗若光の子孫がいるのか疑問に思っていたが、実際に13世紀以降の系図が残っていること、それは代替わりの際に当主が書いた史料であることなどから、本当に続いているのではないかと思った。(歴史学科2年・久保田空さん)
・事前に調べていた以上に日高市では「高麗郡」を活用した町おこしが盛んで、また、実際に行くことによって知ることのできる朝鮮に関するものもあり、有意義なフィールドワークだった(歴史学科2年・嶋田桃子さん)
・聖天院には在日韓民族慰霊塔があり・・・聖天院は高麗郡の寺として、日韓の架け橋的な存在となっているように思った。(歴史学科2年・野澤結奈さん)
・聖天院の本堂や鐘などは高句麗というよりも日本の寺院にいるようであったが、在日韓民族無縁慰霊塔は異国を感じさせる場所であった。(歴史学科3年・阿部隼浩さん)

 高麗神社の鳥居にて

神社の保々さんからご説明いただく

本堂でお参り 何をお願いしてるのかな

高麗家住宅

保々さん、ありがとうございました。

高麗川のキャラクター トライ君とミライちゃんと写真

聖天院にて 

聖天院から高麗川駅を望む 

ブーツで聖天院の裏山を必死に登る。その先には檀君像がありました。

 巾着田1 高麗川の屈曲部分 

巾着田2 水車

巾着田3 渠水をジャンプ 

高麗川から巾着田の渠水への分水

 以上(文責:村松弘一)