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大学の沿革

大学の沿革

昭和40年4月1日
淑徳大学開学、創立者長谷川良信学長就任
社会福祉学部社会福祉学科を千葉キャンパスに開設(千葉市中央区大巌寺町)
昭和41年8月4日
創立者長谷川良信遷化
昭和61年5月16日
開学20周年記念式典挙行
平成元年4月1日
大学院社会福祉学研究科に社会福祉学専攻修士課程を開設
平成4年4月1日
社会学科を千葉キャンパスに開設
上記学部開設に伴い社会福祉学部を社会学部に名称変更
平成7年4月1日
大学院社会福祉学研究科に社会福祉学専攻博士後期課程を開設
平成8年4月1日
大学院社会福祉学研究科に社会学専攻修士課程を開設
国際コミュニケーション学部経営環境学科・文化コミュニケーション学科を埼玉キャンパスに開設(埼玉県入間郡三芳町)
平成10年4月1日
大学院社会学専攻博士後期課程を開設
上記専攻開設に伴い大学院社会福祉学研究科を社会学研究科に名称変更
平成12年4月1日
大学院国際経営・文化研究科に国際経営専攻・国際文化専攻を開設
平成13年4月1日
社会学部に心理学科を開設
平成15年4月1日
国際コミュニケーション学部経営環境学科を改組し、人間環境学科と経営コミュニケーション学科を開設
大学院社会学研究科に心理学専攻修士課程を開設
平成17年4月1日
社会学部を総合福祉学部に名称変更
大学院社会学研究科を大学院総合福祉研究科に名称変更
平成18年4月1日
総合福祉学部心理学科を実践心理学科に名称変更
総合福祉学部社会学科を人間社会学科に名称変更
平成19年4月1日
看護学部看護学科を千葉第二キャンパスに開設(千葉市中央区仁戸名町)
国際コミュニケーション学部人間環境学科を人間環境専攻及びこども教育専攻に専攻分離
平成20年4月1日
大学院総合福祉研究科社会学専攻を募集停止
平成22年4月1日
コミュニティ政策学部コミュニティ政策学科を千葉キャンパスに開設
上記学部開設に伴い総合福祉学部人間社会学科を募集停止
平成23年4月1日
総合福祉学部に教育福祉学科を開設、学校教育コースと健康教育コースを設置
平成24年4月1日
経営学部経営学科・観光経営学科を埼玉キャンパスに開設
上記学部開設に伴い国際コミュニケーション学部経営コミュニケーション学科を募集停止
栄養学科を千葉第二キャンパスに開設
上記学科開設に伴い看護学部を看護栄養学部に名称変更
平成25年4月1日
教育学部こども教育学科を埼玉キャンパスに開設
上記学部開設に伴い国際コミュニケーション学部人間環境学科を募集停止
平成26年4月1日
人文学部表現学科・歴史学科を東京キャンパスに開設(東京都板橋区前野町)
上記学部開設に伴い国際コミュニケーション学部文化コミュニケーション学科を募集停止
大学院国際経営・文化研究科国際経営専攻・国際文化専攻を募集停止
淑徳短期大学を淑徳大学短期大学部に名称変更
平成27年9月26日
創立50周年記念式典挙行
平成28年4月1日
大学院看護学研究科看護学専攻修士課程を千葉第二キャンパスに開設

学祖・長谷川良信先生のご紹介

宗教・社会福祉・教育を三位一体とし、人間開発・社会開発に生涯を捧げる

社会福祉の新しい形を世に示し、生涯にわたり、それを実践してきた学祖長谷川良信。 淑水記念館にて学祖生誕120年を記念し、貴重な史料・写真が公開されている。 著書や手紙の一語一句、写真に写った表情の一つひとつから、他者への深い愛情、宗教・社会福祉・教育にかける熱い思いが伝わってくる。学祖の足跡に触れる ことで、本学の原点を振り返ってみたい。

幼少期(1890~1909)

幼少期画像 弟分と宗教大学時代の夏服で

1890(明治23)年、茨城県西茨城郡南山内村(現・笠間市)にて生まれる。6歳の時、浄土宗得生寺に養子として入籍。ここで、仏縁を結ぶ。 資料によれば、生家の事情で母の姿を見ることは少なく、心寂しい幼少期であったと推察される。もしかしたら、それが後の他者に対する慈愛につながっているのかもしれない。得生寺では、養父の教えをよく守り従順であったが、反面、気の強い面も見られた。 質実剛毅。そんな幼少期の姿が浮かび上がってくる。

青年期(1910~1930)

青年期画像 宗教大学社会事業研究室 実地調査部として長屋に移住

東京・芝の浄土宗立芝中学校(現・芝学園)から、宗教大学(大正大学の前身)へ。ここで、恩師・渡辺海旭先生と出会い、社会事業への一歩を踏み出す。東京・西巣鴨のスラム街、通称「二百軒長屋」に単身で移住。子どもたちの夜学や住民の相談に応じるセツルメント(隣保事業)を行う。この事業を組織的に継続するために、1919(大正8)年、マハヤナ学園を創設。同年『社会事業とは何ぞや』を発表。社会事業に専心した時期といえる。

壮年期(1931~1952)

壮年期画像 マハヤナ学園創立一周年に集う 児童クラブの子どもたち

1924(大正13)年、マハヤナ学園内に、大乗女子学院(夜間)を開設。隣保事業の延長として勤労女子の教育に乗り出す。社会事業と教育事業を両輪とし つつも、ことに第二次世界大戦後は、幼児教育から高等教育にいたる総合学園としての「大乗淑徳学園」を創設するなど、我が国の復興を期して教育事業に尽力 する。 1951(昭和26)年、大巌寺第六十世住職に就任。「大巌寺文化苑」の構想のもと、宗教・教育・社会福祉を三位一体とした各種事業を推し進める。

老年期(1953~1966)

老年期画像 第一次北南米視察 開教出発の船上

老年期画像 サンパウロ「日伯寺」(仮堂)に立って

1953(昭和28)年、63歳にして単身でブラジルに渡り、日伯寺を創建するなど、南米開教に力を注ぐ。実に8ヶ月間でブラジル全州の大半を踏破、約2千人の新たな知縁を得たという。この後も、病身をおして二次、三次と渡伯した。 1965(昭和40)年、国内4番目の社会福祉系単科大学として淑徳大学を創立。生涯の事業の集大成が図られた晩年は、文字通り宗教・社会福祉・教育の三位一体期と言えるだろう。1966(昭和41)年、理想に邁進した76年の生涯を閉じる。

『社会事業とは何ぞや』

社会事業とは何ぞや画像 『社会事業とは何ぞや』

学祖29歳で発表。わが国で「社会事業」を書名に使用した最初の著作。「彼と共に」の言葉もこの中で述べられた。さらに、社会事業を体系的に分類し、総合的な支援を提起するなど、画期的な内容となっている。

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