歴史学科東洋史フィールドワーク2019年度(3)【大磯・高麗山編】

東洋史研究Ⅱ(朝鮮)[担当:村松弘一]では古代関東平野の開発にかかわった朝鮮半島からの渡来人の足跡を体感するというフィールドワークをおこなっています。2018年度は埼玉県日高郡の高麗川駅から高麗神社・聖天院を経て巾着田、高麗駅までを踏査しました。昨年の様子は→こちら

今年度は、2019年11月25日に、神奈川県大磯町の高来神社・高麗山まで足を延ばしました。10時半に平塚駅に集合し、大磯駅で解散したのは16時。実に5時間半のフィールドワークでした。走行距離は6km程度でしたが、高麗山の標高は170mもありました。

①高来神社

平塚駅からバスにのり、花水のバス停から歩く。高麗山の東南の麓から高来神社の境内に入る。中世に記された「箱根山縁起」に神功皇后の新羅出兵を示す三韓征伐に勝利した際に、重臣であった武内宿禰が高麗大臣和光を奉ったことがこの高来神社の始まりとある。また、神社でおこなわれる御船祭の木遣りには高句麗の使者の若光が祖国滅亡後に東を目指し、大磯の浦に渡来し、船で上陸してこの高麗の地に住み、大陸の文化を伝えたという文言がある。直接的な史料はないが、高句麗からの渡来人と高来神社、高麗山との関係を考えてもよいでしょう。

高来神社前にて

神社にお願い

②高麗山

高来神社のある高麗山は、丹沢の南、箱根の東に位置し、ここから東は関東平野へと入る。関東の西南の端と言ってよい(埼玉の高麗神社は関東平野の西北に位置する)。まさに、京から東国へやってきた渡来人が、この山を通った可能性は否定できない。170mの山は急峻である。高麗山の山頂に至り、さらに尾根沿いに西へ行くと湘南平があり、そこには展望施設やレストランがある。なお、高麗山は戦国時代に山城として使われ、北条早雲が籠城し、小田原城征伐の際には上杉謙信もここに本陣を置いたという。

男坂は険しい

まだまだ続く高麗山

山頂から高麗山の東を見る。

楽しいお昼ご飯

湘南平にて(湘南の海を背景に)

③楊谷寺横穴墓群・釜口古墳

湘南平から南方向へ高麗山を下りる途中に、無数の横穴があらわれる。楊谷寺横穴群である。およそ50基の墓が発掘され、出土した土器から7世紀前半以降の墓と考えられています。そこから30分ほど歩き下った場所に釜口古墳がある。この古墳は半地下式の切石積の横穴石室で、現在の盛り土は石室をわずかにおおう程度しか残っていない。一般的には7世紀末のこの地域の支配者の墓と考えられています。

楊谷寺横穴墓群

釜口古墳

④大磯海岸

大磯には1885年に日本初の海水浴場が開設されました。西洋医学による健康促進法が導入されたことによるそうです。大磯には伊藤博文や吉田茂、寺内正毅ら歴代首相の邸宅が建てられ、近代史においてもここ大磯は政治的に重要な町でもありました。

大磯海岸で語る

大磯海岸の青春の1ページ

(履修者の感想)

「歴史学科に入学してここまで険しいフィールドワークは初めてであったが、自ら現場を訪れて見て学ぶという座学では得ることのできないような学習を通じて日本と朝鮮の関わり、大磯の歴史について知識を得ることができたと思う」(伊地知大河さん)

「日本の文化は日本の歴史や文化を学ぶだけでは追求しきれないということを学んだ。日本の歴史や文化を深く研究したいのであれば「大陸の歴史や渡来人が伝えた大陸の文化がどのようなものであったのか」「その文化が日本の文化にどのような影響を与えたのか」ということにまで着目して考えなければならないと感じた」(高羽あずささん)

「行き当たりばったりが多かったものの、これぞフィールドワークであると感じることができた」(栗原彩汰さん)

「今回の調査はほかのフィールドワークに比べとても内容の濃いものであった。道中、様々な出来事が発生したこともあったが、それを含めよい時間であった。特に楊谷寺横穴墓と釜口古墳を実際に見学することで座学では学べないことを知ることとなった。」(栗林優斗さん)

「大磯へフィールドワークに行ってみて、自分の住んでいる神奈川県について初めて知ることや学んだことが多くあったと感じている。日本史として残ってる資料や史跡が多いが、朝鮮にもまつわるものがあることを知ることができた」(志村祐治さん)

「事前学習・フィールドワーク・事後学習と長い時間をかけて平塚・大磯について学んだことにより、印象に残る授業となった。大学生活の中でもここまで時間をかけて学んだことはなかった。時間をかけることで、知識として記憶に残るということを発見することができた・・・今回のようにフィールドワークをしっかりと準備し、足を使って調査することは、卒業論文にも活かせると思う」(太田瞳さん)