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学長メッセージ

喫茶去

淑徳大学 学長 磯岡 哲也(いそおか てつや)

磯岡 哲也学長 卒業生メッセージ

私たちは、心身の疲労から回復するために休養をとります。休養には、単に休むことだけではなく、精神的価値を高め人間性を育成しながら気力・体力の回復を図る、すなわち自分を養うという側面があると思います。

中国唐代の趙州(じょうしゅう)禅師は、座禅によって悟りを開いた名僧でありました。禅師は「喫茶去(きっさこ)」という言葉で有名な方であります。喫茶はお茶を飲むということ、去は、意味を強める助辞でこれ自体は意味がないとされ、「お茶をおあがりなさい」といった程度の意味になります。

多くの修行僧が悟りを求めて禅師のいる寺院にやってきます。あるとき、禅師が修行僧の一人に「あんたはかつてここに来たことがおありかな」と尋ね、僧が「ありません」と答えると「喫茶去」と言ってお茶を勧めました。もう一人の僧に同じことを尋ねると今度は「あります」と答えましたが、その僧にも禅師は「喫茶去」とお茶を勧めました。

そばにいた院主が「初めて来た者に出す茶はいいとしても、以前来たことがある者にも同じようにお茶を勧めたのはなぜですか?」と尋ねたところ、禅師は突然「院主さん!」と呼び、思わず「はい」と答えた院主に、やはり禅師は「喫茶去」とお茶を勧めたのです。院主は、初めての人にも二度目の人にも同じ「喫茶去」と言ったことに対して、やや批判めいた気持ちがあったのかも知れません。しかし禅師は、「まあお茶でも飲めや」と言われたのです。 これには禅の修行にかかわる深い意味があると考えられます。

たとえば、異なった立場の者に対しても同じように接した禅師の修行における平等性、または属性から由来する分別を越えた禅師の無分別の姿勢などに気づくことができるでしょう。しかしここでは、禅師の意図をごく平易に「いろんな思いはあるだろうが、お茶でも飲んで一休みして、まずは心身を安定させるのが大切ではないかな」とそのような意味として捉えたいと思います。

新しくチャレンジする時、失敗して再チャレンジする時、観念的な疑問がわいた時、一服して休養をとり心身の安定を図る。灯火親しむ季節を迎え、自分自身を養うため喫茶去の積極的な意味を考えてみた次第であります

大学広報「Together 228号」より

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