歴史学科 墨田川フィールドワーク

皆さんこんにちは。歴史学科の教員、森田です。歴史学科の自主ゼミとも言うべき「史跡散歩サークル」の顧問をやっています。

 

今回は、夏休み特別企画で、日の出桟橋から水上バスに乗り、墨田川を浅草まで向かいました。今回のクルージングは、江戸時代に水上交通の大動脈として機能した墨田川を実際に船で進みながら、かつて江戸時代に架かっていた橋や両岸に存在した大名屋敷・蔵などの位置を確認し、「水の都、江戸」の一端に触れることです。

 

わずか35分のクルージングでしたが、学生諸君はさまざまな刺激を受けたようです。たとえば佃島。

 

墨田川の河口にあるこの島は、摂津国佃村から漁師が移住してきて干潟を埋め立てることによってできた島で、佃島に住む漁民達は徳川将軍家に白魚を献上する役割を担っていました。

 

今は橋が架かっていて、実感がわきませんが、1964(昭和39)年までは渡し船が運航していて、戦後間もない頃は銀座のカフェで働いていた女性がたくさん住んでいたようです。

(池波正太郎『江戸切絵図散歩』新潮文庫 1993年)。

 

船が中央大橋の手前にさしかかったところで、後ろを振り返ると、近代的な高層マンションが林立しています。その足下に目を向けると陸地が三角形になっている。まさに島の先端部分。写真をとっていた私は、思わず学生諸君に向かって、「早くこっちに来い!」と叫びました。

 

歴史的景観との出会いは一瞬なのです。墨田川に架かっている永代橋、新大橋、両国橋、吾妻橋、そして千住大橋。

 

江戸五橋と呼ばれたこれらの橋を四つまで船で通り過ぎました。『江戸名所図会』のコピーを読みながらの船の旅は格別です。

 

浅草で上陸してからは、浅草寺、すみだ郷土文化資料館を経て、最後は牛島神社。自分の身体の痛いところと同じところをさすれば治ると信じられている石造の「なで牛」に触れながら、学生諸君はみな満足そうな顔をしていました。



2021年10月

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