2018年1月アーカイブ

みなさんこんにちは!歴史学科二年の清水・廣瀬・山岸・横川です。

私たち、歴史学科2年Bクラスは森田喜久男教授の歴史調査実習フィールドワークで銀座・築地・佃島について調べるため、11月24日に中央区京橋図書館とタイムドーム中央区立郷土天文館。
12月1日に銀座・築地・佃島へ計二回に渡って行ってきました。

1回目に行った京橋図書館では、地域資料室で資料室員の菅原さんから古地図と文献資料の説明をしていただきました。
その後、菅原さんが事前に調べ、厳選していただいた資料を元にそれぞれ担当した場所ごとに文献資料を閲覧し必要な文献を複写させてもらい、講義発表に備えました。

私たち1班では、銀座を担当しましたので明治~昭和にかけての銀座が描かれた古地図や現在までの発展について記録された文献資料を閲覧・複写しました。

また、タイムドーム中央区郷土天文館では、文化財調査指導員の犬竹さんから銀座・築地・佃島の展示について説明してもらいながら見学しました。
中央区の地層についてや水道などの設備について説明していただき、特に都電に関する質問をしたところ丁寧にお答えいただきました。

はいどうも~山岸です(笑)。1回目のフィールドワークについては以上です。

2回目のフィールドワークについては、それぞれの班員の感想を言ってもらおうと思います。清水君からどうぞ!

はい、清水です。私はフィールドワークで銀座に行くと聞いて、これまでは銀座と言えば高級マンションや高級デパートが並ぶ都会中の都会という印象しかなかったために「なんで都会にフィールドワークに行くのだろう?」という疑問がありました。
これまでのフィールドワークで私たちが行った場所は神社や寺院、資料館などだったこともありました。
しかし、事前の説明で銀座は江戸時代に職人の町だったと聞いて江戸幕府の銀座があったということしか知らなかった私は少し興味を持ちました。
私たちのグループは担当が銀座だったこともあって中央図書館では銀座に関する資料を調べて、現在の銀座が完成するまでに災害や鉄道の普及などの影響を受けていることを知りました。

そして当日はそういった過去の事象を踏まえた上で歩くことにしました。
銀座にいた時間は短かったですが、どこか近代的なモダンな雰囲気を感じることができ、歌舞伎座や石碑も見ることが出来ました。
事前に調べたデパート以外にも様々な会社や飲食店なども多く見つけることが出来ました、現在の銀座に行ってみて思ったこととしては、銀座は進歩し続ける街だということです。

清水君ありがとうございます。続いては廣瀬君お願いします!

はい!廣瀬です。私たちは築地本願寺にもいきました。

築地本願寺を初めてみたのですが、遠目からみても迫力があり日本の各地にある寺と比べ、寺の見た目がインドの宮殿の様でとてもインパクトが強かったです。

築地本願寺の写真を撮ったところインドの宮殿風に建てられた寺と、まわりの車や高層ビルが一緒に写真にうつりとても不思議な写真が撮れました。
森田教授の話では東京帝国大学の名誉教授の方が建てたという説明があり、このような大都会の街中に日本には似合わない奇抜のデザインの寺を建設したことに驚きました。
最近では本堂と石塀が有形文化財に登録されておりとても重要な文化財だったことが分かりました。

今回は時間がなく築地本願寺の堂内に入れなかったため、どのような物があるか気になり、調べたところ築地本願寺の堂内や堂外に動物の彫刻があることが分かりました。
その彫刻は実物に近いものですが、動物一匹一匹に特徴的な表情をしています。
動物は鳥、牛、獅子、馬、猿、象などがあるため、今後地本願寺に行く機会があれば全ての動物を見てみたいと感じました。
後、途中の煉瓦街時のガス街灯を見学していると、パトカーが6~7台集まって不審な外国人観光客だと疑われるハプニングが発生しましたが、ある意味楽しい思い出となりました。(笑)

廣瀬君ありがと、続きまして横川さんお願いします。

はい、横川です。私は佃島について書かせていただきます。
佃島の由来は江戸時代に摂津国佃村の漁師たちが隅田川河口の干潟を家康より与えられて埋め立てたためで、これにたいするお礼として佃島の漁師たちは白魚を将軍へ献上していました。
また、1645年~1964年まで渡し舟が交通の手段でした。現在では石碑が建っています。

話は変わりますが佃島と言ったら佃煮ですよね!
元は漁師たちが小魚を煮詰めて保存食としたものが由来です。
実際に佃煮を扱う店は多かったです。
穴子の佃煮や鰻の佃煮などがありましたが、ちょっとわれわれには高かったですね…(笑)

最後に住吉神社で参拝をしましたが山岸君はお賽銭を賽銭箱に入れることが出来なかったというエピソードで終わります。(笑笑)

また、お忙しい中、時間を割いてご説明していただいた京橋図書館地域資料室員菅原様。
タイムドーム中央区郷土天文館犬竹様。
大変貴重な経験ができました!
本当にありがとうございました!

歴史調査実習 銀座・築地・佃島体験記
石塚克裕・方波見海・小池優士

みなさん、こんにちは。
私たちは、9月29日に歴史調査実習の授業で銀座・築地・佃島、10月6日に京橋図書館・タイムドームに行きました。
まず、15時に銀座一丁目駅に集合したのち、「銀座発祥の地」記念碑・歌舞伎座・築地本願寺跡を順番に見学しました。

最初に見学した記念碑は、同じ班員の意見では、少し異風なものに感じたそうです。
見た目は欠けている場所もなく綺麗なつくりでした。
また少し小さいように思えました。
しっかりとした作りのため、倒れることはなさそうだなと考えられました。

次は歌舞伎座を通りました。
当時の劇場名は、地名や座元の名を冠するのが普通であったらしく、歌舞伎座という名前は、異例だったそうです。
私たちは逆にそれが良かったのかなと思いました。


続いて築地本願寺跡に着きました。着いて最初に思ったことは、西洋の建物にしか見えなかったということです。
ですが、仏教とはもとはインドの釈迦が元祖だと考えるとしっくりくるような気がします。
その後「蘭学事始地の碑」、「慶應義塾発祥の地記念碑」の二つ、佃の渡し記念碑、住吉神社の順に見学しました。

この碑を見学する前に明石小学校を通りました。この小学校は、昔「築地外国人居留地」と呼ばれていました。
ちょうど曲がり角のところに説明文が書かれた看板と当時使われていたレンガがそのまま残されていました。

この二つが並んでいることで、ここに訪れた人にわかりやすく伝えるためになっているのかと感じました。

また私たちが訪れた時には、ちょうど運動会の時期だったようで、校庭にテントがあったり、子供たちが垂れ幕を取り付けていたりと、自分たちのころを思い出して懐かしく感じました。
「蘭学事始地の碑」は初見、本の形をしていたのはユニークだと思いました。蘭学とは、オランダ語のことで、ここで、有名なオランダの解剖書「ターヘル・アナトミア」の翻訳が行われたと言われています。
また、「慶應義塾発祥の地記念碑」では、福沢諭吉がこの場所に学塾を開いたと書かれており、ここで福沢諭吉が多くの学生に勉強を教えていたのかと感じることが出来ました。
そしてその石碑を改めて見てみると、とても荘厳に思えました。   

佃の渡し記念碑では記念碑を見た後、実際に隅田川から対岸の着き場を見ました。
先生が指で「あの場所まで何回も往復していた」とおっしゃっており、そう考えると、かなり遠く思えましたが同時に、当時の様子が浮かび上がってきたようにも感じました。
そして、上に述べたように記念碑や石碑というものは、何か不思議な雰囲気に包まれているように思えました。近いうちにまた別の石碑などを巡ってみたくなりました。

最後は橋を渡り住吉神社に向かいました。また渡りきるのに時間がかかったため、昔の船での移動は大変なものだったと再認識することが出来ました。
まず入口に立札があり、それを見てから、中に入りました。やはり神社というものは、雰囲気が他の場所とは全く違うものに感じる不思議な場所だと思いました。
住吉神社でも同様で入る前と後では、体感的に違うものを感じました。またこの神社の由緒が、この後の調査実習で調べる内容に近かったため実際に来ることが出来て良かったです。

以上が今回の調査実習で見学した名所です。銀座・築地・佃島の三つを実際に巡ってみた感想としては、面白かったです。
もちろん、この感想には様々な意味が入っています。

まず、「銀座発祥の地記念碑」や「蘭学事始地の碑」などの記念碑を間近で見てきたことは、本やネットで見るよりもより鮮明に頭に入ってくるように感じ、実際に当時のその場面を想像することが出来、心が躍りました。

築地本願寺跡もかなり日本ではなく西洋の建物にしか見えず驚きました。
物は、生で見た方が感じることは多いかなと思いました。

そして最後の住吉神社のところで書いたようにこの後に二回目の調査実習として佃島について調べるために京橋図書館、タイムドーム天文館に行きました。
私たちの班は、佃島を担当しており、図書館では、佃島に関する書物を閲覧・調査させていただきました。

その結果、昔は、白魚という魚の漁が盛んだったことを知りました。この結果をもとにタイムドームに行きました。
そこでは、白魚漁に使用された何種類もの網や獲った白魚を入れて将軍に献上するための箱などが展示してありました。

写真を撮ることはできませんでしたが、やはり写真よりも実物を見る方が楽しかったです。
また床に大きな地図があり、自分たちがどこにいるのかがわかりやすくなっていたり、タッチパネル式の展示に関するクイズがあったりと、来館者に親切な作りになっていました。
これらは学芸員を目指す人にもいい仕組みだと思いました。
以上体験記を終わります。

皆さんあけましておめでとうございます。人文学部歴史学科1年の河野零です。
私たちは2017年12月22日に歴史学科1年の博物館概論の講義の一環として板橋区の公立博物館である板橋区立郷土資料館を訪問しました。

対応していただいたのは、郷土資料館の学芸員齊藤千秋先生と専門員小松寿治先生のお二人です。

今回は、学芸員課程の授業なので、展示室だけでなく、ふだんは立ち入ることができない収蔵庫やバックヤードなど施設の裏側にも案内していただきました。

先生方からは郷土資料館に勤務されている職員の方々の業務の内容や郷土資料館が地域社会のなかで果たしている役割、郷土資料館の強みと弱みなどたくさんのことをご説明いただきました。

今回の郷土資料館訪問では、学芸員がどんな環境でどのような工夫をして展示などの業務をこなしているのかがわかりました。
今回学んだことをこれからの学芸員課程の講義に生かそうと思います。

最後に講義室で西洋の甲冑を見ることができて、ドキドキでした。博物館は、僕の知らない世界が広がっているということを実感しました。

こんにちは!人文学部歴史学科2年の今井陽基です。
12月16日に「八潮子ども夢大学」をやりました。

「八潮子ども夢大学」とは八潮市の小学生が大学の授業を体験します。
大学がどんなところなのかを知るために行う目的で、八潮市と各大学が連携して実施しています。

淑徳大学では、博物館教育論という学芸員課程の授業を履修している学生と八潮市の小学生が一緒になって体験授業を行いました。

前日までリハーサルを繰り返し、当日を迎えました。

須田君の司会で開校式が始まり、森田喜久男教授のあいさつ、そして児童代表の元気なあいさつがありました。

そして体験授業が始まりました。最初に縄文時代について私が説明しました。

次に小池優士君が古銭について説明をし、岩田芽依さんが拓本の取り方を説明してくれました。

私も含めてみんな緊張していました!(笑)

そして一通り説明が終わり、拓本取りを始めます。最初に古銭の拓本を取り、次に縄文土器の拓本を取りました。
古銭の拓本、そして自分が練習の時に難しく感じた土器の拓本取りも小学生のみんなはきれいに取れていてびっくり・・・みんなとても上手でした!!


拓本取りには小学生の保護者の皆さんにも参加していただきました。
そして拓本取りが終わったら小学生にワークシートを書いてもらいました。


その後、閉校式をして最後は学食でご飯を食べて「八潮子ども夢大学」が終わりました。

普段小学生と接することがあまりないので緊張しましたが、小学生の皆さんが楽しそうにやってくれたので良かったです。
今回、ワークシートからパワーポイントの作成、拓本取りの練習まで先生方に協力していただきながら学生中心で活動したことは、学芸員課程を履修している学生にとって貴重な経験になりました。
先生方、小学生のみなさん、そして「八潮子ども夢大学」に協力してくださった皆さんありがとうございました!!

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