中山道をゆく

こんにちは。歴史学科の学科長をしている森田喜久男です。過酷なフィールドワークをやることで学生諸君には恐れられています(苦笑)。

 

今年の夏のフィールドワークのテーマは「中山道をゆく」。2015年8月29日(土)、1年生と2年生とあわせて総勢12名で、江戸時代の五街道一つ、中山道を起点の日本橋から板橋宿まで歩きました。

 

全長10㎞あまり。休憩をはさんで6時間かけての踏査です。季節は夏なのでちゃんと歩けるかな~と心配していましたが、なんと当日は土砂降り、最高気温も25℃以下。どうも私がフィールドワークをやると必ず雨が降るらしい(丸の内ビジネス街の時も雨でした)。

 

一行は、午前10時に地下鉄三越前B6出口前に集合。その階段を上ると目の前が日本橋。「雨に濡れながら、たたずむ人がいる~♪」。覚悟を決めた学生諸君は、傘やレインコートを手にして日本橋から三越の前を歩き始めました。

 

JR神田駅のガードをくぐって靖国通りを横切り、昌平橋で神田川を渡って、湯島坂を上ります。湯島聖堂や神田明神を横目に、本郷へ。ここでお昼休みを一時間とった後、「本郷もかねやすまでは江戸のうち」と歌われた「かねやす」の前で12時30分に集合して、再び歩き出しました。

 

途中で日光御成道と分岐して、旧白山通りに入ると右手に大円寺が見えてきます。境内には、恋人に会いたい一心で放火し、天和3(1683)年に火あぶりの刑の処せられた八百屋お七を供養するために建立された「ほうろく地蔵」が。

 

 さらに進むと巣鴨の商店街へ。この時点で午後2時。30分間の休憩をとり、学生諸君は江戸六地蔵の一つがある真性寺やとげぬき地蔵をお参りした後、庚申塚へも行って往時は茶店が並んでいた風景を思い浮かべました。

 

 この後、都電荒川線を横断してJR板橋駅近くへ。この地で非業の死を遂げた新選組局長近藤勇の墓に詣でた後、力をふりしぼって板橋宿へと向かいます。

 

 板橋への到着時刻は、午後4時。板橋という地名の由来となった「板橋」がゴールです。

感慨深そうに石神井川を見ている学生諸君に私は声をかけました。

 

 江戸時代の人だったら、6時間あれば、日本橋と板橋、往復したかもな。

えっマジっすかぁ~。

 

とにかくお疲れさま。次は東海道を歩こうね。


  

  



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