歴史学科 鈴木ゼミ合宿2018

みなさんこんにちは!
人文学部歴史学科3年の鈴木ゼミです。
私たちは、古代史について学ぶために、8月31日から9月2日にかけて奈良、京都でゼミ合宿を行いました。

1日目
鈴木ゼミ3年の時田翔太郎・伏島和輝・福本広大です。
まずは、ゼミ合宿1日目である8月31日の行程を紹介したいと思います。

ゼミ合宿最初の行き先は奈良県御所市にある葛城山に登りました。

近鉄御所駅から車で10分ほどで山の登山口まで行くことができます。
登山口まで行くとそこからはロープウェイでの登山となります。
ロープウェイの窓は少し開いていて葛城山の風がそのまま伝わってきたのでとても清々しく感じられました。
ロープウェイを降りるとそこから山頂までは徒歩での登山となります。

現在ではハイキングのための登山用の道が敷かれていますが、以前は修験の山として修行目的で登山が行われていました。

ここで古代においての葛城山について説明します。

『古事記』『日本書紀』によると、雄略天皇が葛城山へ狩猟に行ったところ一言主神と出会い共に狩猟を楽しむという話があります。
雄略天皇は、『古事記』『日本書紀』では「ワカタケル」の名で登場し、倭の五王の一人「武」に比定される人物です。
また一言主神とは、現代では一言だけ願いを言うとその願いを叶えてくれると言う神として伝わっています。

こういった伝承を考えながら登山しているうちに山頂まで辿り着くことができました。

葛城山の山頂は和歌山県と奈良県の県境にあり奈良盆地を一望することができます。
当時は山から、支配する地域を見下ろす事で、その土地の支配の正当性を示したと言います。
そんな神聖な空気を肌で感じながら、言葉に表せないような気持ちをしっかりとチャージすることができました。
(時田)

私たちが次に向かったのは、橿原考古学研究所附属博物館です。
最寄り駅は近鉄畝傍御陵前駅でこの駅から歩いて約5分程で着きます。
この博物館には、旧石器時代~平安・室町時代の出土品を展示しており、中には重要文化財や県指定の文化財、さらには国宝まで展示されています。

館内は時代ごとに展示物が分かれていますが、館内に入ってすぐの所には古墳の被葬者が葬られた時に履いたという復元された金銅製靴も展示されていて存在感がありました。


↑藤ノ木古墳出土の金銅製靴の復元

館内には、ボランティアガイドの方がおり、展示品に関して詳しく説明していただき、とても勉強になりました。

私がこの博物館で一番興味をひかれたのが古墳時代の展示物であった円筒埴輪です。
この埴輪はたかが埴輪と思ったらいけません。高さだけでも2mを優に超えるというかなりビッグサイズの埴輪です。
来年の一月に国立博物館でも展示されるようなので見に行こう、と決めました。
(伏島)


橿原考古学研究所付属博物館を後にした私たちは、次に藤原京跡に向かいました。
藤原京跡は、私たちが想像していた以上に草原で、そこに赤い円柱が建てられている不思議な場所でした。

さてクイズです。これは何を表していたのでしょうか。(・・?)



正解は、門の柱を表しています。

これは、藤原京の発掘調査を活かして、南大門跡地に柱の復元を建てています。
門も、東大寺の南大門くらい高かったのではないかと言われていて、想像しながら学習しました。
また、元日朝賀の拝礼や拝舞のことを教えてもらいました。
元日朝賀では、各省の官僚が現在とは特殊な拝礼をしていたようで...

先生のレクチャーの後、私たちも拝礼してきました。
当時、各省の官僚の多くがこのような拝礼をしている時、天皇は、どう思って見ていただろうなと思いを馳せつつ、やってみました。
わたしは、シュール過ぎて笑ってしまいそうだなと思ってしまいました。
ポイントは、腕を写真のとおり上げるところだそうです。(拝礼の方法は諸説あるようです。)

今回、藤原京全般を通して想像力は相当必要だけど、やってみるとなかなか楽しいことがわかりました。
また、柱のレプリカのほかにも、小さな林が基壇の跡だったりと妄想を補助してくれる物が多くあり、古代を想像しやすかったです。
やはり、奈良県は古代史をわかっているなとつくづく思いました。
みなさんも奈良県に行くことがありましたら、東大寺や平城京、春日大社のような有名なスポットもいいけど、是非、藤原京跡にもぜひ行って、「自分の古代史」を想像してほしいなと思います。
(福本)


ゼミ合宿2日目

鈴木ゼミ3年の坂本和希と廣瀬薫です。

私たちが紹介するのは2日目に訪れた、平城宮跡と六孫王神社です。
午前中は、平城宮跡に行き、復元された第一次大極殿・朱雀門のほか、第二次大極殿や内裏の跡や発掘調査によって出土した木簡や瓦などが展示されている資料館を見て回りました。

平城宮跡の調査を行うにあたり、『国史大辞典』などを調べて、事前に情報を蓄えていたつもりだったのですが、実際に歩くと想像よりも広く、合宿初日の疲れが残っていたためか、歩き回っていると「疲れた」という声も出ましたが、奈良時代の王朝について文献史料からからは読み取れないものを感じる・想像するという、貴重な体験が出来ました。

平城宮跡の調査を終えた私たちは、午後に京都へ移動するため奈良駅から近い、興福寺を観光して昼食をとったり、鹿と遊んだりしました。
(坂本)

二日目の午後は、奈良にいた大量にいた鹿を惜しみながらも京都へ移動し、私が研究課題にしている酒呑童子の逸話に登場する、源頼光の先祖である源経基が祀られている六孫王神社に行きました。

六孫王神社は京の八条にありますが、実際に行ってみると現在は住宅街に囲まれており、市街地から遠いところにあると感じました。
事前学習では、1964年に境内が新幹線の用地になった影響により狭くなったとありましたが、行ってみると、予想よりはるかに狭いことを実感しました。
(廣瀬)


二日目の夜は、京都で観光地として有名な四条烏丸にあるお好み焼き屋さんにいきました。
ここでは、ゼミのメンバーで二日目の感想や、鹿と触れ合ったことを話したりしてゼミのメンバーと親睦を深めることができました。
そのあと鴨川に架かっている三条大橋から、鴨川の河川敷にいる膨大な数のカップルを複雑な気持ちでみながら、ホテルに歩いて戻り奈良・京都の二日目は終わりました。


ゼミ合宿3日目

歴史学科3年の青柳・伊奈・石名です。
3日目は京都神田明神、仁和寺、六道珍皇寺へ行ってきました。

まずは私の研究テーマである平将門にゆかりのある「京都神田明神」を紹介させていただきます。
京都神田明神は、市聖と崇められていた高僧の空也上人が桓武天皇の5世の子孫・平将門公の首級を祀り、祟りを鎮め厚く供養し建立した小祠だそうです。

東京にある神田明神に比べて京都神田明神は非常に小規模でした。
ふと鳥居の左下を見ると、なんとカエルの石像が2体ありました。
大きなカエルの頭の上に小さなカエルが乗っていてかわいかったです(笑)

実際に神田明神に訪れて、神社全体の手入れが丁寧にされていることに驚きました。
平将門は、怨霊として恐れられているだけではなく、神として信仰されていることを実感させられました。

(青柳)


今回仁和寺に行く一番の目的は、京都御所から仁和寺までも道順でした。
醍醐天皇が仁和寺にいる宇多上皇のもとに行こうとしたときに、道が狭いから輿では通ることができないと史料にあったので、御所と仁和寺の位置関係や道順を確認しながら仁和寺に行きました。
また、仁和寺内では、国宝の金堂や重要文化財である五重塔などを見ることができました。


(伊奈)

 

最後に行ったのは六道珍皇寺です。
六道珍皇寺には平安時代前期の貴族、小野篁が地獄へ行くためにとおっていたとされる井戸があります。
今回はこの井戸を見るために六道珍皇寺を合宿の計画に組み込みました。
目的の井戸は窓越しに覗き込む形でしか見ることができなかったが、後から発見されたというもう一つの井戸を見ることができました。


(石名)


今回の三日間を通して、自分の目で見て体験することがどれだけ大切か実感しました。
予定通りに進まないこともいい経験になったと思います。
そして、引率してくださった鈴木先生本当にありがとうございました。

11月24日・25日に行われる淑徳祭では、歴史学科の研究発表を行います。
その時に、ゼミ紹介で夏合宿についても紹介するので、みなさん、是非お越しください。

2021年10月

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