2018年10月アーカイブ

正課「現代人の生活倫理」の科目担当者である小林秀樹ならびに魚谷雅広は、授業での学びを深め、被災地の復興支援とともにこれからの私たちのあり方・生き方について実地において考えるスタディツアーを「正課外講座」として行った。

平成28年に11名、平成29年に6名、平成30年に11名、三年間で延べ28名の学生が被災地を訪問することができたが、このツアーは特に本学1期生の細谷昭夫氏、10期生の北村雅氏・岩佐勝氏、13期生の佐藤修峰氏といった本学OBのみなさんのお力添えもあって実施できたものである。ツアー・研修でお世話になった他の多くの方々とともに、この場をお借りして改めて御礼申し上げたい。

 

●2016(平成28)年

「パンと野菜の店 えすぷり」さんにて

「パンと野菜の店 えすぺり」さんにて


大河原多津子さんの人形劇「太郎と花子の物語」

大河原多津子さんの人形劇「太郎と花子の物語」

 

常磐道車窓から

常磐道車窓から

 

請戸地区

請戸地区

請戸地区

 

本学OB佐藤さんによるご講演

複合型介護支援サービスを展開されている本学OB佐藤さんによるご講演

 

【学生のことば】

今回のスタディツアーでは、日新館をはじめとする過去の福島と震災後の現在の福島という観点から人間のあり方、生き方について考えることが出来たように思う。詳しくは各報告書に任せることとするが、いずれのメンバーもこれからの生き方について考えることがあったようである。

 それと同時に、多くのメンバーが福島で見たこと、聞いたこと、また感じたことなどを自分の中だけに留めるのではなく、より多くの人に語り継いでいきたいと考えていることも、このツアーの成果であると思う。学生の身分の私たちにできるなによりの復興支援。ボランティア活動の参加や福島への募金など様々なことが考えられる。どれも大切なことだが、福島で見たこと、聞いたこと、感じたことを「忘れないでいること」、それらを友達や家族、周囲の人間に「話すこと」ことこそがなによりの復興支援につながると考える。人間の記憶は、時の流れと共に風化し、やがては消えて忘れてしまう。しかし、会津の人々の生き様、震災による被害、5年経っても未だに残る爪痕、勇気ある行動、復興の希望などの事実は決して風化させていいものではない。私たちはこれらの事実を福島で目の当たりにしてきた。この事実を伝えることが出来るのは現地で事実を見、聞き、感じた私たちだ。

 そのための第一歩として、今回の報告書作成と相成ったわけである。各担当の報告書では、今回ツアーに参加したメンバーがツアーを終えての思いや感じたことを綴っている。冒頭にも述べたように、これからの生き方や考え方に大きな影響を与えたツアーであったことは間違いないだろう。今回のツアーメンバーは、同じ大学に通いながらも目指す道、描く将来像は1人ひとりまったく違う。しかし、このツアーの中で共に感じ、考えたことは共通の思い出としてこれからも残り続けるだろう。それぞれがどのような形で福島のことを考えるのかは定かではない。しかし、同じ大学に集い、同じツアーに参加した仲間としてこの報告書の作成をもってそれぞれの支援のはじまりとしたい。

 

 

 

 

●2017(平成29)年

大河原さんの人形劇

今年も拝見した大河原さんの人形劇

 

コミュタン福島

コミュタン福島

コミュタン福島

 

 

夕食後の振り返り

夕食後の振り返り

夕食後の振り返り

 

 

富岡町視察研修

富岡町視察研修

富岡町視察研修

 

 

 

浪江町視察研修

浪江町視察研修

浪江町視察研修

 

 

阿弥陀寺藤原住職によるご講演

阿弥陀寺藤原住職によるご講演

 

※このツアーの一部が「福島県の教育旅行 ふくしま教育旅行 ニュース&トピックス」に紹介されました。

「2017.10.24(火) 13:36

淑徳大学総合福祉学部のゼミ生が避難解除された浪江町で研修を実施」

https://www.tif.ne.jp/kyoiku/info/disp.html?id=464

 

【学生のことば】

事前学習会から多くの人が協力してくださり、無事ツアーを終えて報告書を作っています。ツアーに携わってくださった方々に心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

今回のツアーでは多くの方が私たちに福島のことについて話してくださいました。伝え方は人それぞれで、人形劇で伝えてくださる方や、語り部として実体験を話される方、現実問題を声を大にして伝えてくださる方もいらっしゃいました。また役場の職員、科学館の館長、住職とそれぞれの方の立場も様々でした。内容にも違いはありましたが、どの方の話からも震災や原子力発電所の事故を忘れてほしくないという気持ちと、福島の未来へ向けた願いが感じられました。当時から6年がたち、震災関連のニュースをテレビで見ることもなくなり、忘れていたことやもう終わったのかなと思っていたことも私の中にありました。しかしツアーを通して6年という時間の短さを感じ、福島の人にとってはまだ何も終わっていないという状況を見ることが出来ました。特に風評については一部の人の誤解や一方的な考え方がいまだに残っており、それが前へ進もうとしている福島県の方の道をふさいでしまっていると再認識しました。言葉が人を傷つけていました。

私は人を苦しめている言葉の力を反対のプラスにして、震災の復興に貢献できたらと思います。そのために今回のツアーで得た様々な情報や考えを自分のものにして伝えていきたいです。

ツアーでは現地の野菜などおいしいものをたくさん食べました。食事をするというのは日常においてはごくごく普通のことです。しかし避難所での生活では一日おにぎり一つだったという話を複数の方から伺いました。日々の生活で当然のように行っていることも、とても価値のあることだと感じました。亡くなった時に初めて気づくことも多く、今回の気づきをまた忘れてしまうかもしれません。できるだけ忘れないように、食事をしたり誰かとつながったりするなど一つ一つを大切にしながら生活をしていきたいと思います。それが阿弥陀寺で藤原住職がおっしゃっていた「他を生かす」ということにつながるのではないかと考えます。

最後に今回のツアーで多くの考えに触れ、それらを一つでも多く理解できるようになりたいという気持ちが芽生えました。福島原発の事故において現地の人は、立場は違えど自分たちの県や県民のためにできることをやっていたと感じました。しかし、国か東京電力が自分たちの利益を優先した結果、大きな被害が出てしまったと考えます。そして多くの不安や対立を生み出してしまいました。いろいろな気持ちを抱えながら、それでも前に進もうとしています。福島県にかかわらず、私は将来、いろいろな思いを持っている人に寄り添える人間になりたいです。すべての人の考えを受け入れ、それを支えられるような心と姿勢を身に着けていきたいです。すべてというのは現実的には無理かもしれませんが、それでも誰一人見落とさないでいたいです。またこの気持ちをできるだけ周囲の人に伝えていきたいです。

 

 

●2018(平成30)年

3年連続で大河原さんご夫婦のもとを訪れました。

3年連続で大河原さんご夫婦のもとを訪れました。

3年連続で大河原さんご夫婦のもとを訪れました。

 

 

弾き語り・人形劇の様子

弾き語り・人形劇の様子

※大河原伸さんの弾き語り「正義の味方はどこにいる」

QRコードから視聴することができます。

大河原伸さんの弾き語り「正義の味方はどこにいる」QRコード


大河原多津子さんの人形劇「太郎と花子のものがたり」

※大河原多津子さんの人形劇「太郎と花子のものがたり」

QRコードから視聴することができます。

大河原多津子さんの人形劇「太郎と花子のものがたり」QRコード

 

本学OB岩佐さんによる研修

本学OB岩佐さんによる研修

山下地域交流センター(つばめの杜ひだまりホール)における本学OB岩佐さんによる研修

 

 

 

一般社団法人AFW吉川彰浩氏による視察研修

一般社団法人AFW吉川彰浩氏による視察研修

一般社団法人AFW吉川彰浩氏による視察研修

 

 

チャイルドハウスふくまる視察研修

チャイルドハウスふくまる視察研修

チャイルドハウスふくまる視察研修

 

【学生のことば】

全体を振り返って、三日間という短い時間でしたが、一日一日が色濃く私の中に残りました。一日目、大河原夫妻がどれほど大変な思いをして有機野菜を育てていたのか、その努力を原発事故によって一瞬で奪われてしまった悔しさをギターの弾き語りと人形劇を通して伝わってきました。そのあとに訪ねたコミュタン福島では、放射線がどういうものなのかを教わりました。放射線は身近なもので少しくらいなら身体に影響はないのだとわかりました。でも、実際に被害にあっている方の話を聞いた後では、頭では理解をしていても怖いという思いが残りました。

二日目、山下地域交流センターでの岩佐さんがお見せしてくださった津波の映像が忘れられません。本当にあっという間に水の量が増えていって、道に止まっていたトラックが軽々流されていきました。絶対にありえないことなんてないんだと思いました。津波が来るということの恐ろしさに身が震えました。

吉川彰浩さんのガイドによる視察では、立ち入り禁止区域や原子力発電所が近いため漁が再開できないと言われている海の方へ行きました。津波によって柱しか残っていない家や思い出が流されてしまった小学校をバスの中から見たとき、心が痛かったです。また、道路を挟んでの帰還区域の問題で800万円と引き換えに家を失うと突き付けられたらという話を聞いて、自分に置き換えて、状況を実際に見ないと他の人の痛みには気づけないと感じました。この時に、どこか客観的に見ていた私は頭を殴られたかのような衝撃で、何も言えませんでした。

三日目、チャイルドハウスふくまるの視察では、今まで大人からの目線でしか東日本大震災をとらえていなかったということに気がつきました。被害にあっているのは子供たちも同じで、今の自分がどれほど恵まれているのかを感じました。小さい身体で私が思ってもみない不安を抱えている子が沢山いるんだと知りました。

私はこのツアーを通して、津波の恐ろしさ、原子力発電の危険性、自分たちの故郷を想う気持ちなど多くの方の想いと考えに触れました。東日本大震災は、本当に大きな傷跡を残していったと思います。しかし、その中で、次に生かすため、自分たちの故郷を取り戻すため立ち上がる人たちの姿を見ました。人間ってこんなに強いんだということを改めて感じました。私も人との繋がりを大切にしたいし、福島は素晴らしいところで、震災に負けない心を持っていると伝えたいです。そこから、直接ではないかもしれませんが、何か支援ができればいいと思います。また、非日常はいつ起きてもおかしくないし、私にとって一番大切なものを考える良いきっかけになりました。本当に実りのある三日間でした。

 

【学生のことば】

ここまで、今回見学した施設や被災地を振り返ってきたが、私は福島県のことを全然理解できていなかったのだなということに気づきました。危険がないとは断言できないが、それでも故郷に残りたいという思いや、逆に故郷を離れて生活しないといけない状況や、熊本地震や西日本豪雨など他の災害が起こっているから東日本大震災の事を忘れている人も少なくないのではないかという不安など、福島の人々は今も悩み苦しんでいるのだなと実際に現地に行って視察することで気づいたことが沢山ありました。

私も、被災者の人々に寄り添いたいという気持ちはもちろんあります。ですが、故郷を奪われ、無残な街の姿を目の当たりにして生活している人の気持ちを十分に理解することは、あのような震災を経験していないから難しいとも思います。それでも、テレビ越しで被災地の様子を見ていた頃と違い、実際に目で見て、感じて、考えていくことでまだまだ私にできることはあるのではないかと思えました。何か行動に移すことが難しくても、テレビや新聞、ネットワークといったメディアを活用して今の福島県や他の被災地のことを知るだけでも意味があることだと考えています。

7年という長い年月が経っているように思いますが、公になっていないだけで、今も時間は止まったままという被災地の方々もいると思います。そのような人々の為にも、私は東日本大震災のことを忘れてはいけないなと感じています。当時中学生だった私も、家の棚やテレビが倒れるほどの地震に遭い、学校で実施していた避難訓練を実際に体験することになるとは思ってもいませんでした。東北の人たち程ではありませんが、このように恐ろしい経験をしているので、二度と災害が起きないでほしいと願いますし、万が一起きた場合に自分には何ができるか、今回の福島スタディツアーを通して学んだことをきちんと生かしていきたいと改めて感じることができました。尊い命を守るためには、被災地の人々やそれ以外の国民が他人事だと思わずに全体が協力し合って復興に力を注ぐことが大切だと思います。一人ひとりが被災地のためにできる限りの支援をすることで、被災地の方々が元の生活を取り戻すことに繋がるのではないかと考えます。

私は、スタディツアーに参加する前は「今更何ができるのか」「ほとんど元通りになっているのでは」と後ろ向きに考えていました。けれど、今回視察した人の中には、「こうして福島に来てくれるだけでも有難い」という事を言ってくれた人がいて、「何かしよう」という概念にとらわれず、震災の事を「知る」だけでも東北の人々には嬉しいことなのかなと思いました。

震災から7年も経過すると、時間と共に記憶が薄れていくのは仕方ないことかもしれません。けれどそこで終わらせず、震災の記憶が薄れている人々、東日本大震災を経験していない人々に、このような恐ろしい出来事があったのだということを伝えていくことが私たちにできることだと思います。そうすることで、被災地の人々の心に少しは寄り添えるのではないでしょうか。