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平成30年2月14日~16日の2泊3日で第5回 東日本大震災復興支援プログラム スタディツアーを実施し、陸前高田、南三陸、石巻雄勝の被災地を訪問しました。総合福祉学部学生7名、人文学部学生5名が参加しました。

活動の様子と、参加した学生の感想を紹介いたします。

(総合福祉学部 教育福祉学科2年)

ニュースや新聞などでも最近は東日本大震災のことをあまり取り上げられていなかったので、復旧に近づいているのかなと思っていたが、奇跡の一本松を行く途中の道では当時のままの建造物や瓦礫などがあり異様な光景だったのが忘れられない。奇跡の一本松の周りもなぎ倒された松の幹の部分や奇跡の一本松の後には津波の怖さを物語る建物、工事途中な部分など7年で変わったところもあれば当時の面影を残したままのところもあり、まるで住んでるところと別世界であった。

(総合福祉学部 教育福祉学科2年)

地元の人達もおっしゃっていたが、何か支援、ボランティアを行いに行かなければいけないということではなく、旅行しに来てお金をその村、街、市に使うことだけでも十分に支援になることができる。軽はずみな気持ちで、ボランティア、支援を行いに行くのでは、逆に被災地の方に迷惑になる。しかし、見に行きたいが、何をしたらいいかわからないという人たちには、旅行でいいのでぜひとも自分の足で訪れ自分の目で見てほしいと感じた。

(総合福祉学部 社会福祉学科2年)

これから先、復興が何年かかるかわからないが、今回実際に被災地に足をはこんだことを忘れてはならないと感じた。10年たってはじめて復興とはこういうことだとわかるかもしれない。私達にいまできることはなにかと考えた時にやはり、「伝えていくこと」「避難の準備をすること」と学んだ。実際に尋ねなければわからないことも多くあった。復興と同時に課題もみえた。絶対に忘れない、忘れてはならないスタディツアーだった。

(総合福祉学部 教育福祉学科2年)

現地の方が何度も繰り返し言っていた"津波てんでんこ"という言葉は、忘れてはいけない言葉であり、みんなにも伝えるべき言葉である。"津波てんでんこ"とは、津波の被害に何度もあってきた三陸地方の言い伝えである。"てんでんこ"は、「てんでばらばらに」の方言で、津波のときは家族さえ構わずに、1人でも高台に走って逃げろという意味であり、家族や集落の全滅を防ぐために語り継がれてきている。私が家族や友人に伝えてこの言葉が何人の人の記憶に残るかはわからないが、真剣に災害について考え、自分・家族・友人の身に危険が及んだ際に伝えていきたいと強く思った。

(総合福祉学部 教育福祉学科2年)

私は今回このボランティアを通して、様々な人たちの話を聞き、自分なりに考えることができたように思う。後からではなんとでも言えるこのような被害を、もう二度と繰り返さないために、知恵と経験を共有して、信念を持って、その信念を貫いていく必要があると考える。私たちは過去の思い出にしてはならない。生き残ってる私たちにはそのような使命があり、しっかりと伝えていかなければならないのだと強く感じた。 また、ぜひ家族ができてからも訪れたい。

(総合福祉学部 教育福祉学科2年)

生きる知恵を身につける事が一番であると感じた。復旧作業には、人の手が必要であり、何年かかっても復旧はできるが、大切な人の命ましてや、自分の命無きには、なにものこらない。 今回のスタディツアーで印象に強く残っている言葉が「命を諦めないで」という言葉です。震災が起きてしまったらまず自分の命を守りなさいと言われました。"津波てんでんこ"という言葉があるように一人一人が逃げなければならない。まず命を優先しなければならないと学びました。

(人文学部 表現学科3年)

このスタディツアーから震災で多くの人を失った今でも、逞しく生きている現地の人たちの姿に共感し、改めて命の価値というものを三日間を通して強く学べたと思います。

(人文学部 表現学科1年)

災害時、避難場所に逃げることが常識とされていますが、避難所に行くことが集団心理として「ここにいれば大丈夫」といった考えをしてしまうことを教えていただきました。上述したことから、わたし達の考える常識や感じ方が自然災害に必ずしも通用しないのだと知り、災害時には柔軟な思考をもって臨機応変に対応するべきだと考えます。

(人文学部 表現学科1年)

このスタディツアーを通して実際に現状をみることで、メディアを通した「視聴者に届けるための東日本大震災の被災地」ではない「ありのままの被災地」を見ることができました。

(人文学部 歴史学科1年)

現地で復興に関わっていくことはできない私が今関東に戻ってきてできることは、被災地の現状を見て、聞いてきた事を私の地元にいる人たちに伝えて忘れさせないこと、そしてこのような被害を出さないためには何ができるのかを考えることだと思う。

(人文学部 歴史学科1年)

今回のツアーで学んだことを自分の中だけで終わらせるのではなくたくさんの人に発信していきたくさんの人が被災地に行ったりして災害についてもう一度考えてみてほしいと思った。

福祉系大学経営者協議会復興支援委員会の第4次派遣は、8月20日(火)から24日(土)の間、福島県郡山市を拠点に実施されました。

参加者は、国際コミュニケーション学部人間環境学科の新保さん、森さん、岡田さん、友利さんの4名。引率は山口先生と総務部の金澤さんでした。

福島県社会福祉士会会長島野様の講義、激甚被災地訪問(いわき市、富岡町など)、2名のソーシャルワーカーへのインタビュー(あだたら育成園:渡邊氏、いわき福音協会法人本部藁谷氏)を行いました。

関西福祉科学大学、文京学院大学の学生との協同実施でした。

ソーシャルワーカーの「声」プロジェクト in 福島

参加者のコメント 

淑徳大学 2年 岡田彩香(淑徳大学 2年 岡田彩香)

声プロジェクトを通して、初めて被災地を訪れました。だいぶ復興が進んでいるといっても見えない傷が沢山あるように感じました。そんな中、現地の人々の「頑張ろう」という気持ちが伝わってきて、私たちにはどんな支援が出来るのだろうと考えることが大切なんだと思いました。

 

 

 

淑徳大学 2年 友利仁美(淑徳大学 2年 友利仁美)

初めて声プロジェクトに参加して戸惑った部分もあるが、支援者であり被災者でもあるSWさんの思いや、今なお復興に向けて歩み続けている人達の思いを少しでも感じることが出来たかなと思います。今回のことを通して自分にできることを探していきたいと思いました。また社会福祉士資格が取れるよう努力していこうと思います。

 

 

淑徳大学 2年 新保江吏万(淑徳大学 2年 新保江吏万)

今回のプロジェクトで支援者も同時に被災者であり、ワーカーもジレンマを抱えながら支援をしているということを知りました。そして、もっとソーシャルワーカーの存在を知ってほしいと感じました。これからは福祉に携わる者として深く学び、多くの人へこのソーシャルワーカーの声を伝えていきたいと思います。

 

 

淑徳大学 2年 森菜摘(淑徳大学 2年 森菜摘)

 今回のプロジェクトを通して繋がり、ネットワークの大切さなどを改めて知ることができました。また、被災者の方と直接お話したことによって被災者の本音を聴くことができました。被災から2年経ったなか、これから私たちはどのように寄り添い、支援していくのかが課題になっているのかと思いました。

おがつ店こ屋 復興市 海鮮ウニ祭り 

6月17日(日)石巻市雄勝町で開催された「海鮮ウニ祭り」に、本学の学生3名がボランティアスタッフとして参加しました。    海鮮ウニ祭りその1             

震災後2年ぶりの開催、安くて新鮮なウニが手に入るとあって

早朝からウニを求める人の長-い列が…

販売1時間前で既に300名、10時の販売開始時には

なんと700名の大行列!                             

 

 雄勝ウニ祭りその2

                                                                  当初は1人5箱までと

していたのですが、

あまりの列の長さに

後方からは買えるのかどうか心配する声が相次ぎ、担当スタッフは

販売場所との間を何度も往復して状況をお伝えしていました。

結局用意された2000箱、約2トンのウニはお昼前には完売。

買えなかったお客さんには、後日宅配でお届けすることとなりました。

 

会場では、現地のお母さん方によるウニの殻むき講習会も行われ、

皆さん生はもちろん、炭火焼きなど様々なウニの味を堪能していました。雄勝ウニ祭りその3

 

現在雄勝町では、人口が震災前の約四分の一に

なってしまっているそうです。

今回のお祭りには、観光客だけでなく、事情があって

雄勝を離れている住民の方々も大勢いらしており、

久しぶりの再会を喜ぶ光景があちこちで見られました。

こうして人が集まることが、雄勝復興の力となることを

願ってやみません。

これからも、人、もの、両面で支援を続けて行きましょう。

3月11日(日)千葉市中央公園と文化センターにて
「3.11を忘れない!"復興と防災"」と題した催しが行われました。

東日本大震災から1年、この悲劇を風化させることなく、
被災地支援と防災意識の啓発をすすめるために開催された
このイベントに、淑徳大学の学生がボランティアで参加しました。

被災地の名産品・応援グッズの販売、被災地の状況や
ボランティア活動の様子を写したパネルの展示、
また、サービスラーニングセンターの石川紀文氏が
パネリストとして出席されたシンポジウムの会場お手伝い等、
20名近い学生が懸命に働いてくださいました。

早速、感想が届いておりますので、
第1弾として抜粋して掲載いたします。

シンポジウム「震災とコミュニティ」





消防団の一員として、シンポジウムと物産展のお手伝いに参加しました。
シンポジウムでは臼澤さんの講演にとても衝撃を受け、感動しました。
実際に被災された臼澤さんの言葉は一言一言が重く、テレビなどの情報では伝わらなかったリアルな話には、
私の想像では追いつかないような被災者の方の恐怖や、悲しみを感じました。家族と会えた時の喜びや、
極限の状態の中で気づけた夫婦の愛や、人の思いやりにとても感動しました。
臼澤さんは自分は生かされたとおっしゃっていました。被災しなかった私も生かされている存在であるならば、
もっともっと自分にできる事をやりたいとあらためて思いました。

実践心理学科2年 大野咲子

 


一年経っても当時のことを忘れずにより震災に対する気持ちを深めている方が多くいることを、感じました。
私はお金がある限り募金に費やすよという方、現地に行きたいが私の持病がうつってしまうから申し訳ないという方、
一人ひとり、震災に物凄く向きあって下さってるのがわかりました。
支援するにはやはりお金がものすごく掛かり、完全復旧は遅いがしれませんが、今日のボランティアで多くの方が
頑張ろう日本という気持ちを持っていることがわかり、何年経っても、この気持ちを大切にしようと思いました。

社会福祉学科1年 熊谷萌香

 


春休みで時間があり、千葉でというわりと近い場所だったのでやってみようと思い、参加しました。
物産展の販売、パネルコーナーどちらにもたくさんの人が来て、物を買ってくれたり、募金をしてくれました。
未だに絶えることなく続く人々の思いやりの心を感じられました。
また、販売、展示物の紹介をしている時にボランティアの私達にも励ましの言葉をたくさんいただけて嬉しく思いました。

実践心理学科1年 清水 葵

 

震災直後自分がなにかしたいという思いがあってもなかなか行動に移せなかったことがずっと心残りで、
今回のボランティアの応募があり、まず行動に移そうと思ったのが動機でした。
当日支援物産展の会場にいて、いろんな所からいろいろな人が集まっているのを見て、
人の思いやりやつながりがいかに大切なのか実感しました。
岩手、宮城の物産も自分が知っているものが少なく、いろいろな物産があることを知りました。
たくさんの方に買っていただいて完売した時は、やはり淑徳すごいなと感じました。
震災に対するいろいろな思いが会話の中などから少し聞きとれたこと、共有できたことがよかった点だと思いました。

社会福祉学科1年 山崎麻柚子

 

また、当日は様々な報道機関が取材に来ていました。 → 千葉日報記事
インタビューを受けた学生もいる模様です。掲載され次第、続報として掲載いたします。


おがつ店こ屋(仮設プレハブ商店街)復興市

以前お伝えした「おがつ仮設プレハブ商店街」は、おがつ店こ屋という名称となり、雄勝復興の旗印となっています。

11月のオープンから3カ月を迎えた2月26日(日)、ふたたび復興市が開催されました

当日は牡蠣やわかめなどの新鮮な地元食材を使った料理の実演、試食など様々なイベントが行われ、
大盛況のうちに終了いたしました。

この復興市にボランティアとして参加した 総合福祉学部 社会福祉学科 の立川絵梨さんの感想が届きました。
                           
テレビなどでは、復興してきているといわれていますが、まだまだであるということを実感しました。郵便局も最近になってやっと出来、 スーパーはもちろん、商店街(店こや)一カ所しかないと知り、自分の目で実際に見てみないと、何もわからないのだということがわかりました。
そして、自分が今普通に生活出来ていることがどれだけ幸せなことであるのかを実感しました。

石巻の人々は、とても温かく接してくださいました。わざわざ関東からありがとう という言葉をかけてもらい、私なんかでも少しでも役に立つことが出来たのだろうか と思いました。石巻の人々と、実際に触れ合い、
話を聞くことも出来たことは貴重な経験でした。

また、絶対に東北ボランティアに参加したいです。
まだ、東北ボランティアに参加したことがない人にはぜひ参加してほしいと思います。自分の目でみて、いろいろなことを感じてきてほしいです。


 

石巻仮設住宅 無料専門家相談会

2月25日(土)、26日(日)、仮設住宅の専門家相談会が行われました。
石巻市内の仮設住宅を、法律や金融の専門家が訪れ無料で被災者の相談を受けるこの催しも2回目となります。
こちらに参加された 総合福祉学部 実践心理学科の藤井慧太さんの感想を紹介いたします。


宮城県石巻市での二日間に渡るボランティア活動を経て、まず大きく感じたのは、3月11日から約一年が経過した今でも、完全復興は遠いということ。なんとなく、離れた地域で暮らす私達には、とりあえず街の片付けは済み、最低限住民の皆さんが生活は送ることが出来ているというイメージを抱きがちですが、廃墟となった建物はまだまだ残っており、全壊判定を受けた住宅に、大した修繕もできずそれでも住み続けている人々が多く居ました。また、仮設住宅に入居できたり、直接の目に見える被害を受けなかった地域の人々も、地震に付随しておきた雇用やお金の問題、近親者を亡くしてしまったショックなど、石巻の人々は、多岐に渡る悩みを抱えていました。
 

復興はまだまだですが、しかしながら同時に感じたのは、昨年の3月とは明らかに違う環境に変化し、前進しているということ。勿論昨年の時点で私は一度も東北に向かったことがなかったですが、住民の方々から、多くの困難な問題を抱えながらも、ただ打ちひしがれているだけではなく、現状を打破しようというメンタリティが感じられました。ご相談の後、目立った解決策、強力な打開策を提示できなかった場合も残念ながら少なからずありましたが、それでも少しでも問題を抱えたことによる悩みを共感するだけで、話をしに来て良かった、と言って頂いた方々がいたことには、こちらが救われました。今回ひとつのテーマでもあった「傾聴」がどれだけ大切かということを実感しました。
 

また、復興は時間が経てば勝手に進んでいくのではなく、多くの人々の多大な尽力によって初めて実現するということもよくわかりました。お世話になった専門家の先生方の中に、専門分野の知識を活かした活動だけでなく、瓦礫処理活動にも以前に何度か来られていた方が多かったことには、正直私は驚かされました。センセイと呼ばれる人々は、そういう活動はあまりやりたがらないだろうと、勝手に思い込んでいたからです。また代表の方は、事前に予め石巻の各仮設住宅団地を周り、一つの団地の集まりだけで最低400世帯を超える住宅にもかかわらず、それを4箇所、単独で歩き回りポスティングを行ったと聞きました。福岡が地元の先生が仙台市に自宅と事務所を移し、活動しているという話も聞きました。他にも、別組織や個人で、半年以上石巻に住み込みでボランティアをしている方もいらっしゃいました。そのような話を聞くと、感動し、私自身も一度で活動を終わりにせず、まだまだ活動を続けて行きたい、また、いつか手に職を付けて社会貢献したいという気持ちが湧いてきました。
 

「ボランティアに参加して良かった」という表現は、私は行き過ぎていると思っています。あくまで最高は、災害など起きず、平穏無事な毎日を住民の方々が送ることです。しかし、それが既に起こってしまった今、せめて自分は、災害によってボランティアに参加することとなり、そこから学んだ諸々、先生方にして頂いた様々なお話を財産に、今後に活かさなければと思います。今回の経験を、単なるの経験ではなく、改めて被災地に、或いは社会や世界に少しでも還元していかなくては。そう感じた二日間でした。

 

河北・雄勝・北上 三町合同復興市

2月11日(土)に石巻市の河北・雄勝・北上の三町合同復興市が開催されました。
このイベントに本学より2名の学生がボランティアとして参加しました。
総合福祉学部3年、志氣龍太郎さんの感想を紹介いたします。

 

私は今まで大須地区のボランティアをやってきましたが、
今回は三町合同復興市のお手伝いということで、
北上町のにっこりサンパークにある北上中学校に行って来ました。

前日の夜に東京に集合し、別のボランティア団体である、だんだんカフェの町田さんの
運転のもと上品の郷に向かいました。天気は悪くはありませんでしたが、
冬で気温が低くなっていたこともあり途中、
高速道路が凍結で通行止めになっていたりと、行くまでの間も今までとは違いました。

明け方の4時くらいに上品の郷に着き、仮眠をし、朝8時くらいに出発しました。
途中、私の希望で大川小学校に連れていってもらい、そこから通れるようになった橋を通って、
中学校に向かいました。着いてからは、テントを建てるなどの手伝いをしただけで
他にも、埼玉県の深谷などからボランティアが来ていたこともあり、
復興市に来ていた地域の人々とふれあっている時間の方が長かった気がします。
そこでも遠くから来た私たちに、「寒くない?」と親切に接してくれたりとても優しくしてくれて温かさを感じました。

そして最大のイベントとして、2月11日14時46分に天国に向けてメッセージを付けた風船を飛ばしました。
これは他のボランティア団体が震災から11ヶ月ということで企画したそうです。
みんな思い思いの気持ちをメッセージに込めて飛ばしていました。
その他にも、体育館ではペーパークラフトや地元出身のアーティストなどのライブ、
子どもたちの太鼓など様々なイベントがありました。

当日は風が強くて途中テントが飛んでしまうハプニングもありましたが、
そんな時も地域の方々は一人ひとりが協力し合い、乗り切っていました。
その光景を見たとき、改めて震災を乗り越えることの大変さを知るとともに、人と人とのつながりの大切さを学びました。
これからも今回のようなボランティアをさせてもらう機会があれば積極的に参加していきたいと思いました。


河北・雄勝・北上 三町合同復興市


12月2日夜出発、0泊2日という日程で雄勝町の道路沿いに設置してある花壇整備に
千葉キャンパスの4名の学生が参加しました。
早速、感想が届きましたので紹介します。




宮城県石巻市のおがつにいってきました。
花壇にお花を植えるボランティアをしました。
私は初めて被災地に行って、こんなに酷い状況なのだと思っていたのに、
「これでも大分きれいになったんだよ」と言われたとき
内心とても驚きました。

一緒に行ったボランティア団体の"だんだんカフェ"さんは、
現在、仮設住宅には暖房がないらしく、
湯たんぽなどの配布作業もおこなっているそうです。

現地では、いろいろな人と話しもできました。
大震災から約半年経って、ボランティアに来てくれる人が減ってきてるそうです。
もちろん、支援してくれている人は沢山いると思います。
しかし、この大震災の恐ろしさを忘れてきてしまってるんじゃないか、
とそれが何より悲しいと教えてくれました。

おつかれさま」「ありがとう」と声をかけてもらい、
優しい人がたくさんいました。
1週間前くらいにボランティアの募集あり、以前から行きたかったので
参加できてよかったです。
当日は雨で寒くて大変なこともありましたが、少しでも役に立てたのなら嬉しいなと思います。
0泊2日の短い日程でしたけれど、
とても貴重な経験になりました。

またボランティアに参加したいです。

教育福祉学科 1年
山際あかね



私は今回、初めて震災のボランティアに参加をさせていただきました。
初めは、現地の様子などを聞いていて、不安でいっぱいでした。
しかし一緒に行ったボランティアの方々と、
学生のみんなに優しく接してもらったことで、自然と不安もなくなり、
激しい豪雨にも関わらず、みんなの雰囲気が良いチームワークを作り出していました。
それがあって花の植え替え作業や、花壇づくりがスムーズに出来たんだと思います。

今回、積極的にボランティアに参加をし精一杯取り組んだことが
これからの自分に良い影響を与えてくれると思います。

「また行こう」 前向きにそう思える経験になりました。

実践心理学科 3年
田島 喬史


宮城県石巻市雄勝町は、3月11日の震災により、公共施設、学校、病院、商店、地域コミュニティ、家族の団欒など・・・すべてを一瞬に失ってしまいました。このため、お買い物一つするのに車で50分かかっていました。

雄勝の復興へ向けて、立ち上がった商店街!!地元住民が元の生活に戻り安心して暮らせる街づくりと地域産業の復興を図ることを目的として、復興への第一歩として「プレハブ2階建ての仮設商店街」がOPENしました。

おがつ復興市

 このオープン記念「おがつ復興市」の支援ボランティアとして、千葉キャンパスから6名の学生が参加してくれました。

参加したのは
4年 立野智史さん、藤枝芽生さん
3年 今井里美さん
1年 佐藤祥平さん、日下部美香さん、中村理沙さんです。

 

おがつ

11月18日(金)の夜10時にJR東京駅に集合!雄勝町大須小学校(避難所)で淑徳大学と協働していたボランティア団体「NPOだんだんカフェ」様のボランティアさんが運転する2台の車に分乗して出発。早朝5時に現地到着したのち、車内で仮眠したのち活動を開始しました。

おがつ

今回、学生ボランティアがお手伝いしたのは、復興祭の準備~運営~後片付けでした。開店の10時ギリギリまで準備に追われていましたが、何とか間に合わせることが出来、ほっとしたのもつかの間商店街を待ち望んでいたお客様がたくさん来てくださり、大忙し^_^; 「福引抽選会場」を任された学生と、魚屋さんのお手伝いの2班に分かれましたが、やはり東北、気温も低く時折雨が降るなか、時間も忘れるほど一生懸命に活動しました。最終日の20日(日)には、天気も回復して、「こんなに多くの人が集うのは見たことが無い!」と現地の方が言われるほど、雄勝町の復活を願う人々が前日以上に来場され、たくさん用意した商品も品切れ続出するほどでした。

 

雄勝法印神楽
 

このイベント後半には、大須中学校の有志4名(3年 阿部将大さん、2年 阿部庄太さん、1年 阿部莉歩さん、1年 阿部麻理瑠さん)による「雄勝法印神楽」が披露され、観客を大いに沸かせてくれました\(^o^)/

 

奥華子さん
 

さらに終盤のバンド演奏では、歌手の「奥 華子」さんもボランティアで出演♪
イベント終了後、ボランティア学生は、2台の車に分乗して無事に帰宅の途につきました。

 

◆このボランティアに参加した、淑徳大生の感想を一部披露いたします。

まず、被災地の現状を目の当たりにして予想以上に津波が高台まで達して被害が大きくなったということを知りました。そして、その津波の威力が今も目でみることのできる形で残っていると感じました。私はその現状を見て、津波を体験したことがなくても津波は怖い物だと初めて実感しました。

でも、そんな経験をした地域の人は思ったよりも驚くほど明るく元気な人達が多いように思いました。そんな人達と一緒にボランティアして、感じたことがありました。もしかしたら、友達同士や地域とのコミュニティーがあったからこそ今まで現実は辛いことがあったけれど乗り換えられたのかもしれないということです。そこで人と関わりを持つことが、何かを乗り越える力になると思いました。そこには、人との繋がりが心の支えになり明るくいれるのではないかと考えました。

今回、そんな人と関わったことで私はいつしか次のことを思いました。一瞬でもいいから自分達の関わりで、地域の人が前向きになったらいいと思いながら接したいと感じるようになっていました。そのような関わりをして、笑顔で帰っていく人の顔をみるのはとても嬉しかったです。 反省としては、もっと直接ではなくても地域の人の話をきき思いに寄り添うことが出来たのではないかと思うことです。以上が、このボランティアで学んだことと反省です。

 

【開催概要】

  • 催事名称 おがつ店こ屋街開店記念・おがつ復興市 
  • 開催日時 平成23年11月19日(土)午前10時~午後4時

おがつ復興市の様子がご覧いただけます。

 

石巻かほく商工会HP http://japan.311tohoku.com/kahoku/home

釜石卓球支援.JPG

11月5日から7日まで、埼玉みずほ台女子卓球部の精鋭が岩手県釜石市を訪れ、卓球講習会を開きました。

参加したのは、4年生 石垣優香さん、大場咲陽子さん、3年生 馮叶さん、白鳥舞さん、2年生 松澤茉里奈さんという、全国でもトップクラスの面々。 この会は淑徳大学震災ボランティアセンターが石巻市卓球協会の呼びかけに応じたもので、釜石市民交流センターと大槌町吉里吉里地区体育館の2カ所で 市内中学校の卓球部員や、一般の卓球愛好者の方々とスポーツを通じた交流を深めました。

詳細が釜石新聞に掲載されましたので、どうぞお読みください。→ 復興釜石新聞11_09.pdf

ちなみに、淑徳大学埼玉みずほ台キャンパスの女子卓球部は先月の全日本卓球選手権大会で団体優勝、全国トップに輝き、大学選手権個人戦では、2年松澤茉里奈さんが優勝、4年石垣優香さんが準優勝という成績を誇る全国有数の名門チームです。


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一行は講習会の後、野田武則釜石市長を表敬訪問し、また仮設住宅で、入浴剤などをお配りするボランティア活動にも参加させていただきました。


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松澤さんの「卓球ブログ」に感想がありましたので、一部抜粋してシェアさせてもらいますね。

以下、http://nblog.mrsc.jp/cat/55/ より


「地震が起きてすぐに、私も6年間青森にいたので同じ東北としてなにかできることがあればなにかしたいと前々から考えていたのですが今回できてとても嬉しかったです(^-^)

実際に地域の方と触れあってみて、元気をあげるために行っていたのに私たちが励まされ、皆さんに元気をもらうことができ、役にたてたか分かりませんがとても楽しい時間をすごすことができました。

感想の言葉で私たちに一言くれたときに辛いと思うのに泣きながら地震の話をしてくれる姿を見て私も少しうるうるときてしまいました(TT)

また仮設住宅へ行き、そこに住んでいる方と接してみたら二年間しかそこにいることができず絶対不安があるのに、みんな優しく「ご苦労様!」や「ありがとね!」などと声をかけてくれたり、部屋に上がってお茶でもどう?などと言われ優しく接してくれました。

話を聞くと他の家族は違う避難所に逃げたけどそこも流されてしまい、独り身になってしまった人がいたり、仮設住宅は壁が薄いのでやはり隣の人の音が気になるということもしばしばあるみたいでした。

そういう話を聞くと本当に私たちは恵まれていて、しかもそういう方々に応援までしてもらっているので、これからもっと頑張り、感謝の気持ちを持って頑張らないといけないと思いました。」