コミュニティ政策学科:鏡ゼミ 東日本大震災復興支援学習いわき合宿報告まとめ(2013年~2021年)

東日本大震災復興支援学習いわき合宿まとめ(鏡ゼミケーススタディ)

 鏡ゼミケーススタディは、2013年から毎年東日本大震災で甚大な被害を受けた福島県いわき市を訪れ、NPO勿来まちづくりサポートセンターの活動を中心に、現地の震災復興とボランティア活動の状況を調査した。

2020年は11月14・15日、千葉キャンパス合宿等のガイドラインに従っていわき合宿を行った。

 

2013年

いわき合宿

いわき合宿

いわき合宿

東日本大震災及び東京電力福島原子力発電所による事故で被災した地域の今日の状況と復興については、長期間現地を訪れることによって、現地の復興状況、特にまちづくりについての確認を行うことができた。さらに、震災で街が壊滅状態になった小浜・岩間地区でのNPO勿来まちづくりサポートネット(代表舘敬氏)の様々な復興支援活動は、学生にとっても貴重なお話で、大変勉強になったと同時に大きな感銘を受けた。


2014年

いわき合宿

いわき合宿

いわき合宿


2015年

いわき合宿

いわき合宿


2016年

いわき合宿

いわき合宿

さらに、東北地方の震災復興の象徴として活動したスパリゾートハワイアンズでは、震災直後の約600名の宿泊客を東京圏に無事に届けるため、18台のバスの確保や帰路の道路状況の確認など、昼夜を問わず尽力した状況をマネージャの野木薫氏から伺った。いわき市小浜・岩間地区視察のねらい いわき市勿来は、白川、根津と並ぶ日本三大奥州関の一つ。そのいわき市岩間地区では94世帯が被災。そのうち10世帯が同地域で住宅を建設。13世帯が高台移転(小原地区)約70世帯は地区外移転となり街が壊れた。震災から9年が経過し、復興公園も整備された一応落ち着いた感はある。しかし生活は厳しい、特に、原発による避難をしている人々の生活はいまだに安定していない。人々は不安の中で生活しており、その中でも少しずつ街が変わっていく姿を見た。


2017年

いわき合宿

いわき合宿

いわき合宿


2018年

いわき合宿

いわき合宿

いわき合宿

②      勿来まちづくりサポートセンターの講話のねらい

勿来まちづくりサポートセンターは、いわき市勿来地区で生まれ育った仲間の支援を目的に立ち上げられたNPOで、この活動が、勿来地区復興災害ボランティアセンターに発展させた。そこでは、行政よりも早く、各地からのボランティアの受け入れを行った。ボランティア希望者受入数は4300人。センターでまず取り組んだのは、区長等に協力を求めて地区の名簿作りを行った事。自治体は非常時にもかかわらず、名簿の開示を拒んだ。そこで、自分たちの力で作り上げ、全国からのボランティアを受け入れ、被災者とボランティアを繋ぐ、マッチングの重要性を語っていた。

勿来サポートセンターでは、復興モニュメントの構築、勿来の復興際など、勿来地区の復興活動を常にリードしてきた歴史があった。

毎年学生は、各自事前にテーマに沿った研究を行い、冊子を作成する。その中で疑問に思った点などを現地で調査し、さらに質問をし、活発な意見交換を行い、今日の復興及びまちづくりの課題を整理してきた。また、2020年はコロナ禍の中、宿泊はすべて個室とし、夕食の際にはソフトドリンクのみで短時間で終えた。


2019年

いわき合宿

いわき合宿

いわき合宿


2020年

いわき合宿

いわき合宿

いわき合宿

いわき合宿


③ハワイアンズの被災と復興支援

翌日は、福島復興の象徴であるハワイアンズに伺った。常磐炭鉱閉山に伴う人員整理を少しでも食い止めるために、常磐ハワイアンセンターを作った。構想当時は、「福島でヤシが育つか」と揶揄にされたが、今日事業は軌道に乗った。街づくり新しい形であった。さらに、映画「フラガール」のヒットや東日本大震災時の全国行脚などで、スパリゾートハワイアンズとフラガールは、復興の象徴として全国にその名が知られた。

地震の2日後には、618人の宿泊客に対して、帰路の確保が不明のまま、大型バス18台を夜通しで調達し、11時間かけて東京へ到着し、多くの客から感謝の言葉をいただけたとの話には思わず胸が熱くなる思いを感じた。9年半の歳月は、地震による生活の格差を生み、確実に復興により歩みを進めている人がいる一方、いまだに一歩を踏み出せない人々がいて、被災地支援の難しさを感じた。

鏡ゼミケーススタディが福島県いわき市勿来地区を訪れて8年となった。確かに街は、変容し、道路や住宅は整備されてきた。しかし、以前の街とは異なり、賑わいは感じない。人々の息吹がかつてのように取り戻せたと感じるのは、いまだに点でしかない。

同時に、人々の関心は薄れ、震災や原発に影響された日々は段々と風化していくのかもしれない。しかし、東日本大震災があった事実、それによって人々の命が失われ、生活に大きな影響が出て、それが今も続いていることを決して忘れてはならないと感じる。

学生にとっては、舘さんや野木さんのお話を伺うたびに、多くの教訓を得ることができた。

最後に舘さんが「僕たちの勿来まちづくりサポートセンターの震災復興の活動は10年を区切りに終えようと考えている。これからは、本来のまちづくりの方に力を注いでいきたい。」とつぶやいたのが印象的であった。

しかし、いわき市にはいまだに双葉町の出張所が置かれ続けている・・・・。

いわき合宿

いわき合宿

いわき合宿