【withコロナの観光】vol.10 おいでませOSAKA!!

淑徳大学 経営学部 観光経営学科「観光とメディア」ゼミではwithコロナの時代、利他共生の観光のあり方を学生たちが模索しています。

コロナ禍に見舞われた観光地や地域を応援したい!連載10回目のテーマは、大阪です。

 

【おいでませOSAKA!!】

皆さんは大阪観光と聞いて、何をイメージされるでしょうか。USJユニバーサル・スタジオ・ジャパンでしょうか。あべのハルカスでしょうか。それとも大阪城ですか?

いずれも日本が誇る観光地です。

なかでも私が好きで魅力的だと思うのは、江崎グリコの看板で有名な、あの道頓堀商店街です。その、道頓堀商店街を100倍楽しめるように、道頓堀商店街の歴史を紹介します。

私がなぜ、道頓堀商店街が好きなのか。それは、絵に描いたような張りぼてのフグや動くカニといった、さまざまな色彩に溢れた看板が、まるで絵本の世界に佇んでいるように思えるからです。

現在は、数多くの飲食店が立ち並ぶ道頓堀商店街ですが、昔はどのような雰囲気だったのでしょうか。一緒にタイムスリップしてみましょう。

▼道頓堀の由来

1612年に安井道頓が私財を投げ打って開発を始めたのが、今の道頓堀川です。しかし、大坂夏の陣で道頓氏は戦死してしまいます。ですが、道頓氏のいとこが工事を引継ぎ、1615年に今の姿に完成しました。道頓氏の功績を残すために、一帯を道頓堀と名付けたのです。

▼現在は飲食店が多く立ち並ぶ道頓堀、昔は?

江戸時代、幕府が大阪を直轄領にしたころ、全国の藩が大阪に蔵屋敷を設け、生産地から生活物資が大阪にいったん集められ、そして全国に送られていきました。その当時、家のなかに物資が多く集められたのが台所だったため、大阪は「天下の台所」と呼ばれるようになったと伝わります。

なので飲食店が多いのでは、とお感じでしょうが、17世紀後半には芝居町へと変わっていきます。

当時は歌舞伎の浪花座や、人形浄瑠璃の竹本座など、数々の劇場がオープンしました。「東洋のシェイクスピア」とも呼ばれた近松門左衛門の脚本のほとんどが、この道頓堀で初演されています。

一流を目指す芸人たちにとって道頓堀は、まさに憧れの舞台でした。見物客をもてなす芝居茶屋が軒を連ねたことから、今の商店街の原型ができたのだそうです。

いかかでしたか?

当時、一流の芸人たちが感じていた空気や雰囲気を体感しながら、美味しいグルメを楽しむのも一つの楽しみ方ではないでしょうか。 

(学生記者:淑徳大学 経営学部 観光経営学科 2年 深野海羽)

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