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こんにちは。
総合キャリア支援室の小林です
私の半生は「淑徳」なしでは語ることができません。
恥ずかしながら、ひとつの職業選択の例として私自身のことをお伝えしたいと思います
出生~幼少期
4,150グラムという巨大児で生まれた私は、埼玉県の田舎町で厳しくも賑やかな4世代の家族の中で育ちました。
自宅では祖父が書道教室を、父が保険の代理店を営んでいましたので、
幼少期から教室の生徒さんやお客さんがよく自宅に出入りしていました。
そんな環境の下、自然に挨拶やコミュニケーションの取り方といったことが身についていったようです。
学生時代
淑徳中学・高校に進学してからは、英語と異文化コミュニケーションに興味を持ち始めました。
学校では様々な海外での語学研修プログラムが用意されていました。
魅力的なプログラムばかりで目を奪われる私に対して、両親の答えはNO
「行くなら、もっと成長してから行ったほうがいい」との教育方針のもと、学業とアルバイトを両立させ、
貯めた100万で高校卒業後にニュージーランドとオーストラリアへ短期留学を果たすのでした。
この経験は私を大きく成長させ、「自分で働いてお金を得ることの尊さ」を学ぶ有益な機会となり、両親にも感謝しています。
就職活動~内定まで
高校卒業後は、生の英語を習得できる淑徳短期大学英語学科(現在は大学に統合)に進学しました。
短期大学では入学と同時に就職ガイダンスが始まるような忙しさ
そんな中、当時の短期大学には副手という先生方や私たち学生のサポートをしてくれる
事務職員のお姉さんが各学科にいて、
その方がとてもフランクで「一番身近な社会人」として仕事の話を聞いたり、相談をしたりしていました。
そのうちに、「こういった仕事もあるんだ!」と学校の事務職員という仕事に興味を持ち始めていきました。
私の世代は第二次ベビーブームで就職難・・様々な会社を受験しながら、
大乗淑徳学園の職員募集を見つけて受験し、そして内定という切符をいただきました。
(つづく)